今日もお立ち寄り有難うございます。
すでに「(占領)憲法の制定の日」は過ぎていますが、田中角栄元首相の言葉が現代を生きる私たちにとって、一語一句が宝の言葉のように思い、「中略」を入れることなくお伝えしたいと思い、長い文章になっております。どうぞお許しくださいませ。
日本の非戦力化、弱体化、細分化
中曽根総理は「戦後の見直し」ということをいっている。それは、どういうことか。
戦後というと今の若い人たちは、国が立ち直って高度成長期に入ってからのことを思い浮かべるだろうが、それより前に重要な「戦後」があるんだ。これを忘れちゃいかん。
そういう戦後を中曽根君と同じにすべて生きてきた政治家として、わたしの考えをしゃべっておく。
わが国の長い歴史のあいだに、三つの大きな改革があった。大化の改新、明治維新、マッカーサー改革。この三つだ。
大化の改新と明治維新は、日本人による日本人のための改革の断行であって、それなりの合理性を持ち、近代性を持っていた。これによって、それぞれの当時の日本は大きく発展したんだ。
ところがマッカーサー改革というのは、日本が第二次大戦に敗れて、アメリカを主力とした占領軍の支配下にあった時代のことだ。これは占領軍がわが国に対する占領目的達成するために、わが国の制度の変革を求めたものであってね。
そこにつくられたものは、日本人が日本人のためにつくった制度じゃなかった。この点が、前二者とマッカーサー改革が決定的に違うところだ。まったく違うもんだよ、これは。
占領軍政策は敗戦の日から昭和二十七年四月、わが国が名実ともに独立を回復する日まで続けられたわけだけれども、その政策に流れていたのは、宗主国が自分の支配した国や領土に求めたものと同じ思想なんだ。
占領政策の目的として、日本の自由化、民主化というきれいごとを並べているが、真の目的や基本政策というのは、わが国の徹底的な武装解除であり、非軍事化であり、弱体化、細分化であった。そうであったことはね、占領軍の総司令官であったマッカーサー元帥のいわゆる『マッカーサー・メモ』に明らかだ。
要するにアメリカ占領軍は、日本が再び立ち上がって戦争を仕掛けることができないようにするために、戦前の諸制度や諸法規は何でもかんでも改めてしまおうと、そういう考えに立っていたんだ。連合軍、とくにアメリカはこう考えたんだろう。
「第三次世界大戦が起こるとすれば、その火付け役になるのはやはり日本とドイツとイタリアであろう。この枢軸三国はこれからまた何をしでかすかわからない」とね。
そこで枢軸三国の国家体制を徹底的に打破し、細分化して、戦争のタネを根こそぎ取り除いておく必要、というわけなんだな。
ただし、連合国は第一次大戦の後、ドイツに天文学的な賠償金を賦課し、いじめて、それが逆にヒトラーから報復されるきっかけとなった苦い経験を持っている。
そこで今度は、戦いに勝っても勝者としての権利は放棄し、敗戦国をぎりぎりの土壇場まで追い詰めることはしないようにした。
賠償金を免除するわけじゃないけれども、敗戦国が自主経済を達成するまで待つという方針を取ったんだ。
その代わり、民主化、自由化の名において、敗戦国の非戦力化政策を入念に実施した。これは実にこうかつなやり方だよ。
もちろん、わたしは、占領軍の政策が日本にとってすべてマイナスだったといいたいわけじゃない。主権在民への転換、農地解放、婦人参政権、労働基本権の確立……こういうものなんかは、よかったことの例だ。
こういった措置がね、戦後の日本を再建して、今日の繁栄を築き上げた日本のエネルギーを全面的に解き放ったんだから。それは確かだ。
にもかかわらず、占領軍の目標が、この措置によって日本の弱体化を図るという点にあったことは、これまた間違いない。
占領軍は婦人に参政権を与え、戦前は三十歳でなければ立候補できなかったものを二十五歳に引き下げ、投票権も二十歳で行使できるようにした。おかげで田中角栄は、二十八歳で代議士になれたわけだ。
なぜ占領軍はそんなようにしたかというと、たとえば婦人、かつての日本では一家の主人が「右向け、右」といったら、みんな右を向くから戦争になるんだ。でも婦人というものは本能的に戦争が嫌いだから……今は違うけどね、婦人のほうが争いが好きな面もあるけど、とにかく婦人に参政権を与えれば簡単に戦争賛成というまいと、占領軍はそう考えたわけなんだな。
若い者も投票権を持てば、オヤジの命令に全部が全部、従うとは限らんだろうと。
それが日本の民主化、非戦力化につながると、占領軍は考えたわけだ。
わたしは自民党の諸君にいったことがある。日本も戦争に敗けていい国になった。昔はね、働けど働けどわが暮らし楽にならざり、という国であり、『女工哀史』が語られる国であったと。それが何もかも吹っ飛んじまって、日本は居ながらにして自由主義、民主主義の国になった。
勤労者の諸君は労働三法をもらって“わが世の春”を謳い、天皇陛下を「彼」と呼び捨てにしている。人の悪口もいいたい放題だ。戦前は第一次産業、第二次産業、第三次産業しかなかったのに、マッカーサーは第四次産業までつくってくれた。
アゴばかり達者で、人の悪口をいってればメシが食える産業ができたんだ。これ笑いごとじゃないんだよ。これも占領軍がわが国に押しつけた現行憲法によってつくられた社会制度である。とね。そういうことなんだ。
つづく
こうして、占領軍によって作られた日本国憲法(日本の非戦力化、弱体化、細分化)ですが、現在は中国、韓国、北朝鮮が「憲法9条を守れ」と内政干渉をしてきているんですね。これら3国は「抗日戦争をして日本軍を追い出した」と豪語していますが、実はこの3国は一度も日本軍と交戦したことはございません。
この3国は、「抗日戦争で侵略国家・日本から自国を守った」という嘘の歴史を正当化するために、自国民に反日を煽っているんです。
3国は反日をやめたら政権を維持できない宿命にあるのです。
※韓国は『大韓民国臨時政府』の継承国家という位置づけですが、初期の臨時政府は朝鮮共産党の創始者・李東輝がいて、ソ連から援助資金を受け取っていました。
金九の時代になっても、中国共産党(コミンテルン中国支部)から資金を援助してもらっていました。 なので、歴史をたどれば韓国も共産主義政権でもあるのです。
それでは、日本共産党や左翼系野党はなぜ護憲なのか?ということですが、彼らの心の故郷は、中国、韓国、北朝鮮と同じで「コミンテルン」なんです。
ですから、左翼政党の議員は日本国、日本国民のために政治をしているわけではないのです。
『22年テーゼ』Wikipediaより
22年テーゼは1922年にコミンテルンで示された『日本共産党綱領草案』の通称。
1919年に創設されたコミンテルンは、1922年1月にモスクワで極東民族大会を開催した。この大会には日本代表として徳田球一らが参加し、スターリンから共産党組織を結成するよう指示を受けた。
徳田の帰国後、山川均、堺利彦、野坂参三、佐野学らによる代表者会議が行われ、コミンテルンの方針を承認し、日本共産党が結成された。1922年11月の第4回コミンテルン大会で、日本共産党がコミンテルン日本支部と認められ、コミンテルンの理論家ブハーリンが起草した「日本共産党綱領草案」(22年テーゼ)が示された。
…とはいえ、
コミンテルンの宗主国である旧ソ連(現ロシア)も、中国、北朝鮮、韓国も軍隊を持っているわけなんですが…。しかも、旧ソ連(現ロシア)や、中国、韓国は他国の領土を武力で侵略していますよね。共産主義って、本当に歪んでいますよね。
北方領土や竹島も日本が武装解除した時に侵略された事実を、日本の左翼政党はどう考えているのでしょうか?
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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