今日もお立ち寄り有難うございます。
まずは、岩田温氏の動画をご覧ください。
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安倍元首相を暗殺したといわれる山上容疑者を「英雄視」した映画を元日本赤軍の残党じいさんが映画化したということで、朝日新聞が宣伝していたことについて話されているのですが、朝日新聞が元日本赤軍の残党じいさんを「革命家」と紹介したのに驚きました。無辜の人々を殺害したテロリストを「革命家」という呼ぶ朝日新聞の見識を疑います。
さて、この動画の31分ごろ過ぎたころ、自民党の細野豪志議員のツイートが紹介されました。
細野議員は「学生時代、過激派の大学封鎖があった。教室に入ってきたヘルメットを被った連中の一人に「何でこんなことをするんだ」と言ったら「お前は『造反有理』を知っているか」と言われ、強い違和感を感じた…」
とツイッターで語っています。
そうそう当時の全共闘(ブント)は、「マルクス・レーニン・毛沢東思想(造反有理)」を標榜していて、本当に質が悪いことを洗脳されていたんですね。
「マルクス・レーニン主義」だけでも「世界暴力革命(世界を転覆させる)」が目標ということで実に恐ろしいのに、そこへ「暴力をふるうのにも理由がある」という毛沢東が言い放った言葉を入れ込んでいるんですね。
この「造反有理」というのは、中国の「文化大革命」の時に「紅衛兵(学生たち)」が利用した「悪魔のささやき」とでもいいましょうか…
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体制に反抗したり背くことには、それなりの理由があるということ。 毛沢東が一九三九年の演説で使用したことばで、のち紅衛兵が中国文化大革命時のスローガンとして掲げた。 組織や体制、権力者への批判のことばとして使われる。 「造反」は、一揆・謀反のこと。
【マオ・誰も知らなかった毛沢東 下】ユン・チアン、ジョン・ハリディ著
>父親や友人から毛沢東が暴力を奨励していると聞かされた紅衛兵たちは、たちまち残虐行為に走った。8月5日、高幹(高級幹部)子弟が通う北京の女子校(毛沢東の二人の娘もこの学校に通った)で、初めて拷問死が起こったとされている。
この学校の校長は50歳で4人の子供を持つ母親だったが、女子学生たちに蹴られ、踏みつけられ、熱湯を浴びせられ、重いレンガを運んで往復する作業を命じられた。よろめきながらレンガを運ぶ校長を、女子学生たちは真鍮のバックルのついたベルトで鞭打ち、釘の出た木の棒で打ちすえた。 校長はまもなく衰弱し、死亡した。事後に、学生のリーダーたちは新設された北京の文革当局に事態を報告した。これに対して、活動を中止せよという指示はなかった。つまり、続けよということだった。
このあとすぐ、毛沢東自身もさらに暴力を支持する姿勢を明確にした。
(中略)
残虐行為がおこなわれなかった学校は、全国で一校もなかった。そして、犠牲になったのは教師だけではなかった。1966年8月1日に紅衛兵にあてた公開書簡の中で、毛沢東は、生徒を出身家庭によって分類し出身不好の生徒に「黒五類」のレッテルを貼って迫害している戦闘的な若者グループをとくに名指しで賞賛した。毛沢東はわざわざこれらの好戦的学生に「熱烈な支持」を送ると表明して、彼らの行為に無条件の承認を与えた。
校長が拷問で殺された女学校では、「黒五類」の生徒たちは首にロープをつながれ、さんざん殴られ、「わたしは最低のろくでなしです、わたしなど死んだほうがいいのです」と言わされた。
毛沢東のお墨付きを得た迫害方法は、「血統論」とともに全国の学校に広まった。
(中略)
学校を恐怖の嵐に巻きこんだあと、毛沢東は紅衛兵を一般社会に向けて解き放った。
(中略)
若者たちは、まず最初に伝統的な店の看板や街路の名前を標的にした。革命の常にもれず、純粋で厳格な分子は軟弱なものや派手なものに攻撃の矛先を向けた。長い髪、スカート、少しでもかかとの高い靴で街に出れば、たちまち目をつけられ、はさみを振りまわすティーンエージャーの餌食となった。
(中略)
梁は群衆の前で屈辱を与えられ、虐待され、情け容赦ない家探しを受けた。蔵書は破棄され、家族は小さな一室に押し込まれた。窓ガラスは割れ、床にも壁にも氷が張るような部屋だった。慢性病をわずらっていた梁思成は、1972年に死亡した。
(中略)
1966年9月半ば、中国全土を恐怖の力で完全に抑え込んで自信をつけた毛沢東は、いよいよ本命の標的である党幹部に矛先を転じた。…
この文化大革命の恐怖が、日本でも再現されたわけですね。
「人殺しも破壊も、すべての暴力行為には理由がある」という毛沢東の主張に共鳴した学生たちは、(旧い)大学の民主化(共産化)を目指して、火炎瓶などで大学を火の海にして破壊しようとしたわけです。
大学の門には「造反有理」と書かれ、学生たちは荒れ狂ったのでした。
浅間山荘事件では、「身ごもっていた女性同志を拷問したあげく、お腹をナイフで割き、胎児を引き出して山に埋めていた」のです。
あさま山荘事件:連合赤軍がたどり着いた悲惨な結末 | nippon.com
仲間内でこうした残虐な拷問や虐殺が繰り返され…はては、中東の方で無辜の市民を銃殺して世界中を恐怖に陥れたのです。
ちなみに、この学生たちに「火炎瓶」や「銃」を提供した組織があるはずですよね。
どことは言いませんが…
しかし…朝日新聞では日本赤軍のようなテロリストを「革命家」と呼び礼賛しているのですね。
そういえば、「重信房子」は、偽造したパスポートで中国と日本を行き来していたわけですが、やはり、「北京」から日本の学生たちを操っていたということでしょうか。
そもそも、「造反有理」などという毛沢東の考えがなぜ日本中の学生に広まったのか?ということですね。
誰かが、日本に「文化大革命」を仕込んだということは明白なんですから…
それにして、こんな荒唐無稽な「毛沢東思想(造反有理)」に共感する学生が沢山いたことに驚きを隠せません。「やって良いことと、悪いこと」の判断ができないって…こんなバカというか基地外はどうやったら生まれるのでしょうか?
彼らは幼い時期にどういう環境で、どういう教えを受けていたのでしょうか?
親のすねかじりで大学に通いながら大学を破壊する行為に出る行為が奇異に感じます。当時、私はまだ子供でしたが…「そんなに大学に不満があるのなら、大学を退学すればいいのに…ずいぶんわがままなお兄さんたちだな…」と思ったものです。
実際、社会で働いたこともない(自活していない)のに、何を偉そうに理屈をこねて暴れているんだろうと思います。
そんなわがままな学生たちが、老人になっても「国葬反対」「アベガー」と騒いでいるのを見て…「あの基地外たちが、あの世に行くまであと何年我慢しなければならないのか」といつも思っています。
そんな学生運動をした人たちが、今は老年となり…それでも「造反有理」の思想を持ち続けているのって、ある意味怖いですね。ぜんぜん、人間として成長していない…
参考記事:東京都都知事のとんでもないロジック&総がかり行動実行委員会の高田健は「全共闘・ブント」だったのか! - 姥桜
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