全ての定説(思い込み)を疑うことから真実が見えてくる&杉原千畝とユダヤ人難民の真実

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

今日の内容も、新聞、テレビ、映画、ラジオ、著作などの『定説』を信じ込まされてきた日本人にとってカルチャーショックな話になると思います。

 

 前回の記事では「ナチスによるホロコーストという定説は嘘だった」というお話しでしたが、皆さんは「それじゃあ、『杉原千畝の命のビザ』の話はどう説明するの?」と反発を感じた方もいらっしゃると思います。

 この話をする前に、先ずは渡邊惣樹氏の動画をご覧ください。

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 この動画でも説明されているように、「美人、若い、女性」をすべて「善」として観るべきではない…ことを証明されています。

 ヒラリーに限らず、ネオコンというのは男女区別なく「残忍」だということです。

 

 ここでは語られていませんが、渡邊惣樹氏の『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』という著書に…

> 1993年6月、アメリカはイラクをクルーズミサイルで攻撃した。同年4月のブッシュ前大統領のクウェート訪問時にイラクが暗殺を仕掛けた(とされる)事件への報復だった。6月26日、クリントン大統領は、暗殺未遂事件がサダム・フセインによって計画されたものであり、その報復としてイラク攻撃(武力行使)を始めることを国民に語り、経済制裁を開始した。

 対イラク制裁の是非についてオルブライトはCBSの番組「60ミニッツ」で次のように語った。インタビュアーは、レスリー・スタール(女性ジャーナリスト)だった(放映:1996年5月12日)。

 

 スタール:(クルーズミサイル攻撃と経済制裁の結果)50万もの子どもたちが亡くなっていると聞いています。広島の原爆で亡くなった数よりも多いのです。これほどの犠牲を出すことに意味があるのでしょうか?

 

 オルブライト:難しい選択ですが致し方ありません。

 

 オルブライトは感傷的なそぶりはいっさい見せていない。投げかけられた50万という数字も否定しなかった。実際食料農業機関(FAO)も、95年には5歳以下のイラクの幼児56万7000人が死んだと報告している。彼女は、子どもの犠牲があっても中東の「安定」のためには致し方ない。言い換えれば、より高い理想(ウォルフォウィッツ・ドクトリンの実現)のためには「少々の」犠牲は仕方ないと言い切ったのである。

 伝統的干渉主義に立つ政治家の真骨頂であった。

クリントン政権時代の国務長官チェコユダヤ人)

 

 

ヒラリーしかり…オルブライトしかり…そして…「ウクライナ人絶滅作戦」を仕掛けたビクトリアヌーランド。

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オバマ政権の国務次官補、国務省報道官、バイデン政権の国務次官(生年月日不明、父方の祖父がウクライナユダヤ人でロシアから米国に移住)

 

 多くの方が「女性」に対して「清潔、善、優しい、平和」というイメージを抱くと思います。例え、福島瑞穂辻元清美蓮舫など癖の強い政治家がいたとしても…老齢の寂しい男性を手玉に取って金をむしり取り、果ては殺害する不美人な女性がいたとしても…多くの人は「女性」に何かしらの幻想を持っていて…「国会議員は男女半々の数にしよう」とか「初の女性大統領を出そう」とか言って、その女性が本当に大統領にふさわしい人物かどうかを見極めようとしません。

 大衆は報道が垂れ流す宣伝に乗って「ブーム」に酔いしれます。私たち大衆は「思い込み」に左右されて、何が一体「善」なのか?「善の基準」を間違ってしまう恐れがあります。

 「黒幕」はこういった大衆の心理を利用するものです。

 

 さて、なぜ今回「ネオコン、戦争を煽る強権的な女性」に騙される大衆の話をしたかと申しますと…今日、「ナチスユダヤ人絶滅計画でホロコーストをした」というおとぎ話からまずは一旦抜け出て欲しいと思ったからです。

 

 今日は、「なぜ、杉原千畝の『命のビザ』が発給されたのか?」というところからお話ししたいと思います。ここで、多くの方は「ナチスの迫害から逃れたユダヤ人難民」と結論づけると思います。 この「定説(思い込み)」から一旦離れる必要があります。

 

 結論から言いますと、「読売新聞 オンライン」の通りなんですが…

「命のヴィザ」言説の虚構 リトアニアのユダヤ難民に何があったのか? 菅野賢治著 共和国 5720円 : 読売新聞

 

 ユダヤ人難民がなぜリトアニアに避難したのか?どうしてユダヤ人難民はリトアニアから逃避行を続けなければならなかったのか?というお話しからいたします。

この話は「ナチスの絶滅計画」という「定説」からはかけ離れたものとなります。

 

 ただ、この話はとても複雑で短く纏めるのが大変難しいです。

なので、多くの重要な部分も割愛しなくては紙面が足りませんので宜しくお願い蒸し上げます。

 

 【第二次戦下 リトアニアの難民と杉原千畝

【「命のヴィザ」の真相】

シナモン・ストレルツォーバス 著

>1939年の秋に何が起きたかを理解しようとすると問題が生じる。この時、数千の人々が移住を始め、その波の一部はリトアニアに達している。その責めをすべて9月に始まった戦争と、戦争を引き起こしたドイツとソ連に負わせるのがもっとも簡単であろう。

 しかし、こうした説明はきわめて浅薄で、少しも視野が広がらない。 1939年の秋、数千人の難民がリトアニアに辿り着いた。リトアニア政府は彼らを属する民族によって分類した。

 ポーランド人難民とユダヤ人難民、この二つの集団が多数を占めていたのは偶然ではない。

 (中略)

 1930年代も半ばとなると、ユダヤ人難民の問題は次第に深刻度を増すようになり、それに伴って、さまざまな反応を呼び起こした。実例を挙げよう。

 まず国家社会主義者がドイツで実験を握った頃、外国の報道は、ドイツ国民としてのユダヤ人に焦点を当てていた。やがてドイツ以外の政府は、通常は公表を控えたものの、ドイツ政府が使う表現とよく似た表現を取り入れるようになった。

 ポーランド政府が、1937年にはすでに、国内300万人のユダヤ人をマダガスカル島に移送する方法を検討していた、とハンナ・アーレントは、悪がいかに陳腐であるかを論じた著作の中で書いている。

 さらに1938年、フランスの外務大臣ジョルジュ・ボネは、外国に住むユダヤ人をフランスの植民地に移住させる計画について、ドイツの外務大臣ヨアヒム・フォン・リッペントロップに意見を求めたという。

 

 事態は非常に入り組んでいた。1930年代もとりわけ後半に入ると、ヨーロッパの一部の国々は、自国の国民、主にユダヤ人を一つの問題としてとらえ始めたと言ってよい。

 この問題という言葉は、解決すべき問題という新たな言葉には置き換えられることになる。 その結果、「ユダヤ人(の解決すべき)問題」という言葉が生まれる。

  (中略)

 ユダヤ人を否定しようとするドイツの姿勢は、ドイツ国内の問題にとどまらず、世界的な規模での人道上の危機へとたちまち変容し早急に解決が求められるに至った。

 

 杉原千畝に関して書かれた歴史学の文献において、エヴィアン会議がいまだに本格的に取り上げられていないのは、まったく意外なことだと言わねばならない。

 

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 ここでの「エヴィアン会議」では、つまるところ、欧米各国がユダヤ人難民を引き取ることを拒否したということです。

 理由としてはアメリカの言う理由と同じで「不況、失業者、国民の移民政策反対」が理由です。 そこで、欧米は中南米の国々にユダヤ人難民を押し付けることとなったようですが、豊かでない中南米の国々も多くの人数を引き取ることは無理だったようです。

 因みに、ドイツ・ユダヤ人は1938年の初期にはおよそ13万5000人がドイツを離れ、そのうち4万3000人がパレスチナに到達していたそうです。

 

 話はまだまだ続きます。

 ナチスより意外な国の人びとが「ユダヤ人迫害(ポグラム)」をしていたのですが、私的にはこの「ユダヤ人迫害」にはある理由が関係していると思っています。その辺のところは話が長くなりますので、次回へとさせて頂きます。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

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