EUの正体&知られざるユダヤ人難民の苦難

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 民主的な手続きなしに出来た欧州連合EU)欧州にはそれぞれ「国家」というものが存在するのですが、国家よりも強い権限を持った組織が「欧州連合EU)」です。

 先日、何気なくEUのHPを開いて見ました。

そうしたら、不思議な画像が出てきました。

EU ハンドサイン

 EU職員の写真? 頭の部分が切れていて不思議な写真なのですが、向かい合う二人の手元が強調されています。スーツ姿の男性は「下向きのトライアングル」、制服姿の男性は手首で「X」のハンドサインのようです。何の意味があってこのようなハンドサインを強調した写真を載せているのでしょうか? 気になったので調べてみました。

    ↓

フリーメーソンイルミナティの洗脳魔術体系】

テックス・マーズ著

>第17章 周りがトライアングルだらけの謎

(中略)

■古代バビロンへタイムスリップ

 トライアングルが今日イルミナティのエリートに悪魔のシンボルとして使われている謎を解くには、古代バビロンへタイムスリップして検証する必要がある。数学の歴史の内容を記す著書『Early Computations(古代の計算)』はこんなことを教えてくれている。

 「紀元前1900年~1600“”年の年号を表記する古代バビロンのタブレットは“ピタゴラスの三つ子との契約のPlimpton 322”と呼ばれていた」

 古代のこの文書にはトライアングルの基本的なことが詳しく解説されている。

 

■女性のトライアングルは“聖なる扉”を意味する

 バーバラ・ウオーカーは自書『Th’Encyclpedia of Myths and Secrets(女性の神秘と秘密の百科事典)』で古代宗教がどのようにしてトライアングルを聖なるものに定めたか記し、ヒンドゥー教ではトライアングルを命の源(性行為)としていたことを明かす。

 女性カーリーヤントラは女性の膣の印として知られていた。古代エジプトでトライアングルは“女性”の象形文字だった。 古代ギリシャでトライアングルはセックスの“聖なる扉”、つまり女性の膣の外部の印として知られ、女神デメテル及びすべての母の印であった。 女神デメテルは“母デルタ”という呼び名で知られていた。

“トライアングル”は古代のすべての地域で女性の三位一体及び神々と関連していた”とバーバラは記す。

 

 なぜゲイが同性愛運動にピンク色のトライアングルを印として採用しているのか理解できる。特に男性の同性愛者にとってはトライアングル型の女神像とフェミニン象は“ゲイ解放運動”の大きなモチベーションとなる。

 

 オカルトでは上向きのトライアングルは火を意味し、そして下向きのトライアングルは水を意味する。 これは均衡及びデュアリズム(二面性)の統合を表すためであり、フリーメーソンや関連の秘密結社のイルミナティが目指すシステムのゴールを示すためである。

  (中略)

 第11章

“十字架に誓う!嘘なら死んでもいい”Xの字の謎に迫る

(中略)

 Xの文字は長い歴史の中でフリーメーソンや古代の謎に包まれた宗教、ユダヤ教、オカルト等の間で使われてきた。イルミナティは現代でこのXの文字を驚異的な何かや歴史的な出来事を表現するために用いる。

 (中略)

古代エジプトとXの字の関連性

 なぜ、フリーメーソン会員は儀式でXの字を表現したがるのだろうか?筆者は古代エジプトとの関連性をもう1つの著書〖Dark Majesty(闇のマジェスティ)〗で解説した。

 「古代エジプトでは骨をXの字にクロスして重ねた印は、宗教と非常に関連性があった。エジプトのピラミッドや神殿では、無数のXの字を目にすることができる。それは古代エジプトの太陽の神であるオリシスの印である

 古代エジプトではファラオが死んだ時、オシリスに対する服従の意味で足をクロスにした状態で葬られる習慣があった。古代でも現代でもオシリスは太陽の神として拝まれる対象になっているが、その影響はフリーメーソンイルミナティによるもの。

 彼らは太陽の神、ヤブロンやルシファーの偉大な建築に対する敬意と尊敬によって「光を当たられた者(ラテン語イルミナティの意味)」だと信じている。

 

 それはオシリスンの目を意味する“すべてお見通しの目”を1ドル札に描いたほどだ。

 そして、ピラミッドの頂点にあるすべてお見通しの目は、太陽の光が当てられており、彼らが目指す新世界秩序(ラテン語でNovus Seclorum)を示している。

 

つまり、EUの正体は「新世界秩序(LGBT)を目指すイルミナティフリーメーソン」だったということなのか!?

 

フリーメーソンイルミナティの洗脳魔術体系】 

 (上左)欧州共同体の理事会に採用した公式ポスターにはバビロンの搭がデザインされ、右下には「Europe Many Tongues One Voice」(多様の言語 でも一つの声、それがヨーロッパ)と書かれている。バビロンの搭の上には円を形成する多数のペンタグラムが確認できる。フリーメーソン会員は自分達の愛称として“Builder”(建設者)を思いついた旧約聖書の創世記を見るとバビロンの搭を建設していた人々を混乱させ、その結果人々は複数の言語を話すようになり、そしてバビロンの搭の価値はなくなった。

 このポスターはその様子を暗示している。

 

 (上右)中国共産党の独裁者だった毛沢東が冠る帽子には赤いペンタグラムがデザインされている。独裁者時代の毛沢東は1億人以上もの中国人を虐殺している。この残酷な虐殺には共産主義の仕組みを作った悪魔崇拝者のカール・マルクスの教義によるものであるマルクスイルミナティに所属するユダヤ人だった。

 

 (下)“The Great Experiment”(偉大な実験)はロシアの芸術家イリヤグラズノフが描いたこの壁画のタイトルだった。壁画は、20世紀ロシアの歴史を想像するとグラズノフは主張した。悪魔の星が全体のコンテナになっており、その中にレーニントロツキーゴルバチョフやその他の共産主義者が星であるペンタグラムと一緒に移っている。

 

 つまり、「EUは悪魔思想」だったというわけか!?

 しかし「バビロンの搭の価値はなくなった」という意味は?

EUの価値もなくなるということなのだろうか? 悪魔思想が母体なんだからなくなってくれた方がいいのではないのかな。

 

 

 さて、そんな悪魔思想の宿るヨーロッパが第二次世界大戦へと突入する頃のお話しをしていきます。前回の続きになります。

 今回はさらに心が痛む内容となっています…

【第二次大戦下 リトアニアの難民と杉原千畝 「命のヴィザ」の真相】

シモナス・ストレルツォーバス著

>■オーストリア併合とその影響

 1938年3月12日のナチス・ドイツによるオーストリア併合は、事態がいよいよ動き始めたことをはっきりと示した。 以前のヨーロッパでは想像もつかなかったことが、このとき明確な形をとって現れた。

 隠然たる反ユダヤ主義が19世紀から20世紀のヨーロッパに特有の現象なのかどうか、その点を問題視するつもりも論じるつもりもない。米国の歴史学者ティモシー・スナイダ―の鋭い観察にもあるように、オーストリア人が併合を受け入れるどころか、自ら旗振り役を買って出たことは、ベルリンにいるナチスの高官たちに、ユダヤ人「問題」の解決は、自らが手を下さなくとも可能であることを示した。

 

 「地元オーストリアナチス党員はユダヤ人を捕らえると、街路をごしごしとこすって掃除をさせるなど、オーストリアの人権法では許されないことを公然とおこなわせ、独立国でないことを見せつけた。

 ここで重要なのは、ナチス党員ではない者たちが、それを面白がって見物していたことだ。ユダヤ人が所有する財産の目録を作成していたナチス党員は、盗めるものはすべて盗んだ。

 ここでもまた非常に重要なのは、ナチス党員でもない者たちも盗みに加担したことだ。 政治学者のハンナ・アーレントが回想するように、『ドイツ軍がこの国に侵入し、近所に住む非ユダヤ人がユダヤ人の家庭で乱暴狼藉に及ぶと、オーストリアユダヤ人たちは自ら命を絶ち始めた』

 1938年3月、オーストリア人が期待を込めてドイツに服従したことから、ナチスの上層部はオーストリアからユダヤ人を放遂できることを悟った。ユダヤ人問題の専門家で、親衛隊のアドルフ・アイヒマンユダヤ人移住本部を設立したのは、その年の8月のウィーンだ」。

 さらに、これから俎上に載せられるいくつかの出来事を見れば、事情はおのずと明らかになるはずだ。

 

 1938年を、何か新しい時代の始まりを象徴する年と見なすことには少々無理がある。情勢はもう何年も前から緊迫していた。いや、じわじわと悪化していたというのが実情だ。むしろ1938年とは、この年を境にして、個人が犯す逸脱行為と集団による差別が高じて、国の政策として実行に移されるに至った年といえよう。 何千万という同国人を追放し、見捨てる決定が下された年なのだ。

 

 オーストリア併合がおこなわれた1938年の初期までに、およそ13万5000人のユダヤ人がドイツを離れ、そのうち4万3000人がパレスチナに到達していた。オーストリアが併合されてから移住が始まったのではない。移住に拍車がかかったのだ。

 およびドイツに併合された地域を後にした。

(中略)

 併合前には20万人近いユダヤ人がオーストリアに、しかもほとんどがウィーンに住んでいた。ウィーンのユダヤ人社会はヨーロッパで最大規模であり、これをしのぐものはワルシャワとブタペストにしかなかった。

 (中略)

 のどかなこの世界全体が雲散霧消してしまった。4月27日、ユダヤ人は銀行口座、保険契約、年金基金などで積み立てたあらゆる金を登録せよとの命令が出た。こうした資金が国外に流出することを防ぐため、一週間に引き落とすことが許される金額には、徹底的な制限がかけられた。同じ理由から、オーストリアから海外に送られる荷物は、すべて検査する権限が法的に認められた。

 (中略)

■ヨーロッパ主要各国の対応

 (中略)

 ホロコーストナチスイデオロギーと結びつけるのは正しい。しかし、殺戮をおこなった者たちの多くはナチスではなかったし、ドイツ人ですらなかったことが忘れられている。我々はまず、ドイツ国民であったユダヤ人のことを思い浮かべる。ただしホロコーストで殺されたユダヤ人のほとんど全員は、ドイツ以外の場所に住んでいた。強制収容所にしても、殺されたユダヤ人の中で、それを目にした者はほとんどいなかった。あのドイツという国を非難するのはいい。ただし、国の制度が崩壊しない限り、虐殺は起こりえないのだ」

 

 

 なんと!ナチスによるホロコーストはなかった!

 しかし、ナチス以外の…ドイツ以外の人々…昨日までお隣さんだったユダヤ人を迫害し、殺戮し、自殺に追い込んだのはオーストリアの人々だった!という事実。

 

 ただ、なぜオーストリアの人々がユダヤ人をここまで憎んでいたのか?ということですが、これは以前にも記事に書いたことですが…

 第一次世界大戦のきっかけと言われた事件(定説)が関係しているのではないかと思います。

「定説」では、「オーストリアの皇太子夫妻を暗殺したのはセルビア人青年」とされていますが、実は「フランスのフリーメーソンユダヤ人が犯人だった」ということです。 現代は「ユダヤ人(フリーメーソン)が作った世界史」が定説となっていますが、当時の人々…皇太子を暗殺されたオーストリア国民は真実を知っていたでしょうから…。

 

参考記事:岸田首相応援演説中に爆発事件&歴史を繰り返す組織 - 姥桜

 

 当時を知らない現代に生きる者が、オーストリアの人々を非難することは出来ません。フリーメイソンに所属していない一般のユダヤ人も自分の知らないことで迫害を受けたのは本当に理不尽なことだと思います。

 

 ただ、ここでもはっきりしているのは、「ナチスによるホロコーストはなかった」「ヒトラーユダヤ人を追放したが、絶滅計画など立ててはなかった」「ガス室はなかった」ということです。

 

 そして分かったのは、こうした事実(ユダヤ人が迫害されている)を知っていながら、スイスはじめその他の国々もユダヤ人たちに救いの手を差し伸べなかったことが歴史から消されていることです。

 

 独ソ戦が始まることになると、ますます事は複雑になります。

 そして、「難民」はユダヤ人だけではなく、周辺国の人々も難民として溢れてきます。そして混乱の中、さらに「地下組織」ができたりしてヨーロッパは混沌とした時代に入ります。

 次回はその辺のことを書きたいと思います。

 私たちが教えられてきた「定説」が次々とひっくり返えさせられるので、気持ちがどこまで付いていけるのか分かりませんが、「事実」を知ることで、「現在」の姿も理解できるようになると思います。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字脱字がございましたらご容赦くださいませ。

リンクフリーの記事です。皆様のお役に立ちましたら幸いです。