今日もお立ち寄り有難うご会います。
衆議院補欠選挙は、やはり想像していた通りの結果となりました。
いつか見た悪夢の再来か?
アメリカサヨクメディアの傀儡である日本のメディアの「裏金問題」で大騒ぎした結果、いわゆる漁夫の利を得た立憲社民共産の「連合政府」の足掛かりとなりました。
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B.工作主点の行動要綱
(中略)
第2.マスコミ工作
(中略)
偉大なる毛主席は
「およそ政権を転覆しようよするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
と教えている。
(中略)
2-1.新聞・雑誌
(中略)
B.「民主連合政府」について。
「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である」
「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい」
「民主連合政府」に関連のある事項を全く報道せず、大衆はこの問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
(中略)
第3.政党工作
3-1.連合政府
(中略)
本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
(中略)
A.基本方針
①各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易にならしめる。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
安倍政権発足以来、野党共闘の工作(安倍潰し)が激化し出しましたね。
安倍元首相が暗殺されていらい、野党の政権批判の勢いが落ちていましたが、「統一教会」「裏金問題」のマスゴミからの援助があって、急に勢いが出てきました。
いつもそうなんですね。文春などの週刊誌の報道から野党が与党叩のための餌をもらって…いつぞやは旧民主党(旧社会党)が政権を取ったんですよね。
今度は、立憲と社民(旧社会党)と日本共産党が「野党共闘」をして、補選にはすべて勝利を得たわけです。
野党連合の勝利は、なんと言っても「組織票」ですよね。投票率が低いと組織票が優位になるのは無理がありませんね。 何しろ左翼思想の連中は一種の精神病みたいなもので、自分たちの国が壊れることに脅威を感じとることが出来ないんですね。
さて、私が応援していた参政党さんは、残念な結果でした。
【拡散希望】
— テリーマン/鳥/よろりん党/百田グループ (@Rly8Pqg) 2024年4月27日
及川さん「移民の事、真剣に語ってるのは参政党だけ」
参政党の国会議員が必要なわけⅢ pic.twitter.com/oaPQoGen9m
「移民問題」を取り上げてくれているのは、「参政党」だけ。
深刻な移民政策
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ここから入って👍を押してね。
もし、マスゴミがちゃんとした脳みそを持っていたならば、ちゃんと参政党の政策を報道していてくれたならば…本当に日本国に必要な政党、議員がどの候補者であるかは有権者にも分かるはず。
でも、中国の工作要綱にあるように「マスコミ自体に『民主連合政府』の主張をなさしめてはならない…」ということですので…今回もバッチリ工作が効いたということでしょう。
さて、「ニュルンベル裁判の不都合な真実」についての続きとなります。
前回記事:東京15区は八百長?&岸田がバイデンに渡した日本人の血税&ニュルンベルク裁判の不都合な真実「鬼畜の連合軍」 - 姥桜
『ニュルンベル裁判の完全崩壊』
加藤継志 著/ 沢口祐司 監修
>1929年7月27日のジュネーブ協定の規定においては次のようになっています。
●戦争捕虜は(武器、馬、軍曹品以外の)全ての個人的物品、日用品を持ってよい。
●自分自身および、その名誉を尊厳するよう要求できる。
●個人証明書、名誉記章、階級章、貴金属類も所持することができる。
●「いかなる場合でも戦争捕虜は懲罰を償うため、刑務所(牢、地下牢、懲治監)に入れられることは無い。(56条)
●処罰を償う部屋は健康的に非の打ちどころがないものでなければならない。清潔に保つことが、捕虜に……可能でなけらばならない。
●……戦争捕虜は読書をし、手紙などを書き、発送し、受け取ることができる。(57条)
しかし、刑務所におけるドイツ人収容所達に対する連合軍の措置は、明らかにこの協定にも他の国際的協定にも反していました。 軍人たちは、勲章や階級章を取り上げられました(同 101頁)。
IMT(ニュルンベルク裁判)において刑務所医を務めたドイツ人ルートヴィヒ・ブフリュッカー博士は、7年後の回想録で、次のように記しています(同94頁)。
「収容者たちは独房に入れられていたが、部屋からは一切の調度、証明が取り去られていた。……各人は、衣類で枕を……つくらなければならなかった。電燈線の鉤を引き抜くとき、ひどく乱暴にやったため、漆喰塗りの天井に深い穴ができていた」
ドイツ人技術者が証明の取り外し工事をしたのならば、そのような粗雑な仕事をするとは考えられません。つまり、連合軍はわざわざ証明を取り外してからドイツ人たちをそこに収容したのでしょう。
博士の手記では、さらにこうあります(同97頁)。
「健康状態の悪化を私は予期していたが……それは約2週間して、急速な体重減少として現れた。……まず第一は、モンドルフでの騎士道的な拘留からこの独房に移されたのが、一番強い影響を与えたのではないか、次に食事がはるかに劣悪になったのではないか、と私は主張した」
統計的に調査した比較可能な67人の入居者のうち、62人は4週間で平均2.42キログラム、一人は6キログラムも体重が減りました。 拘禁精神病が発生するのではないかと恐れられるようになってからやっと給食は変わったとされます(同96頁)。
また、1945年8月から10月までの3か月間で、囚人はわずか2回しか下着を替えることができず、家族から仕送りがあったとしても受け付けてくれませんでした。 収容者たちの屋外での運動は、1週間に数回散歩が許されるだけであり、それも会話を禁止されたうえで、一人一人が5メートルの間隔を保たなければならないといいうものでした(同97頁)。
これらと、悪名高きナチスの取り扱いを比較しましょう。
1943年10月26日、SS経済管理中央本部長オズヴァルト・ポールは、次のような命令を各収容所に出しています。
「囚人たちはドイツ民族の偉大なる勝利に貢献しなくてはならないのだから、我々は心から囚人の福祉に配慮しなくてはならない。 私は、病気のために労働できない囚人を10%以下に抑えることを第一の目標としたい」(中略)
そして、以下の措置が必要であると結論しています。
1)適切な栄養供給
2)適切な衣服供給
3)すべての自然保健措置の利用
4)仕事の実行には必要ではない作業をさけること
5)報奨の奨励
収容所の労働力は、ナチスにとって戦争遂行の要でした。 つまり、ナチスはむしろ収容所だからこそ優先的に食料を供給し、収容所だからこそ環境を整備しなければならない切実な動機があったのです。 また、これは前述したような収容所内外におけるプロパガンダに対抗することが目的でもあったのでしょう。
連合軍のドイツ人に対する措置の中で、かろうじてジュネーブ協定に合致していたといえるのは、刑務所からの手紙が1カ月に2度、18行まで許されていることです(同99頁)。
しかし、ナチスの収容所からは1カ月に2度、「2枚に15行ずつ」の手紙が許されていたのですから、これですら「いわゆる絶滅収容所」以下の待遇だったのです。
以下続く
前回の記事にも、連合軍のドイツ人に対する拷問、虐待、強迫等を書きましたが、ナチスはそのような拷問、虐待、強迫などはしていません。
私も以前から不思議に思っていたのですが、戦争中に、わざわざユダヤ人を強制収容をして殺害して焼却するのは時間と労力の無駄であるのに、なぜユダヤ人を絶滅させようとしたのか理解できませんでした。
また大阪に居たおり、「ユダヤ人ホロコースト展」なるものが開催されて見に行ったのですが、少女のおさげ髪とか、鞄とか靴とか衣類などが無造作に展示されていました。
これも不思議としか言いようがありませんでした。
殺害するために、なぜ、わざわざ髪を切らなければならないのか?
殺害するために、なぜわざわざ服を脱がなければならないのか?
殺害するために、なぜわざわざ囚人服を着せる必要があるのだろうか?
なぜ、切り取られた毛髪類がきれいなリボンをつけたまま保存されていたのだろうか?
このように、普通に考えてみたら、実に効率の悪いことをナチスはやっていたことになります。 これは「南京大虐殺」「従軍慰安婦」にも同じことが言えます。
生きるか死ぬか…いや、一寸先は死が待っている…そんな死闘の最中に、民間人の女性を次から次へとレイプするほど日本軍は“強靭”だったのだろうか?
また、中国兵と闘っている最中に、民家を襲い民間人を襲うなんて…日本軍はそこまでとち狂っていたのだろうか?
しかも、20万人とか30万人とか…どう考えても不可能としか思えません。
それにしても、SSと連合軍とどちらが「紳士的」だったのか?
紳士的なのはSSで、下品で鬼畜なのは連合軍のほうですよね。
最後までお読みくださいまして有難うございます。
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