イラン:ライシ大統領ヘリ事故死⁉&ニュルンベルク裁判の不都合な真実「処刑されたドイツ軍人達の無念」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

今日も衝撃のニュースが入ってきましたね。

youtu.be

   ↑

ここから入って👍を押してね。

 

悪天候のためなのか? それにしても国の重鎮が乗るヘリなのにちゃんと天候をチェックしていなかったのだろうか?

お悔やみを申し上げます。

 

でも、思い込みのせいか…イランは英米イスラエルの標的になっていますので…

今回も、なんらかの仕業があったのではないかと勘繰ってしまいます。

youtu.be

    ↑

ここから入って👍を押してね。

 

イランの核科学者の暗殺は、イスラエルモサドということですね。

youtu.be

   ↑

ここから入って👍を押してね。

 

もともと、英国の「MI6」と米国の「CIA」とイスラエルの「モサド」のスパイ(暗殺部隊)は兄弟みたいなもんですからね。

英米イスラエルの標的にされたら、ひとたまりもありません。

この組織のバックにいるDSは、第二次世界大戦ではドイツと日本を標的にして…それこそ現在のガザみたいにドイツと日本の非戦闘員(女子供老人含めて)に対して爆撃機で街中を焼き尽くしたのです。もう、何でもアリですよ。

参考記事:英米軍のイエメン攻撃とシリア攻撃はイランを戦争に巻き込むため&バカな岸田政権がヤバイ! - 姥桜

■ニューディラーの戦後処理計画

 1944年8月の時点で、アメリカはすでに戦後対独政策なるものの検討に入ったが、この時ルーズベルトは、前述のおように「我々はドイツに対して厳しく当たらなければならない」と述べている。ルーズベルトの頭の中には、ドイツ人抹殺計画があった。ここでは階級闘争史観もくそもない。ジェノサイド(民族皆殺し)があるだけである。

 対日態度はルーズベルトの死後であるので、彼の態度は詳しくは分からないが、原爆使用も彼が決定したものであり、戦争中日本民族を抹殺せよと言っていた点からしてほぼ同じものと推察できる。ただ幸いなことに、日本、ドイツともルーズベルトの死後に降伏した。後任者はさすがにこのような考えはもっていなかったわけである。

(中略)

 日本への原爆投下は、1944年9月18日、ルーズベルトの私邸でルーズベルトチャーチルの間で決定されている。(ハイドバーク協定)チャーチルが反対したかどうかはつまびらかではないが、とにかくルーズベルトが最終決断している。戦後しばしば日本の原爆投下について、これはソ連進出に対する牽制であるといった理由付けが行われているが、これは全くのウソである。

 

原爆搭載機「エノラ・ゲイ」は天皇を抹殺せよ

 その証拠を示そう。広島へ原爆を投下したB29の腹に書かれてあったあまり見慣れぬ二語がある。Enola Gayがそれである。

 この意味はほとんど日本では知られていないようである。それはイディッシュ語である。イディッシュ語とは中東欧のユダヤ人が使っていた言葉で、現在はニューヨークのユダヤ人の間で多少使われている程度であるが、第二次大戦前までは中東欧で非常によく使われていた言語で、ヘブライ語、ロシア語、ドイツ語の混血語といえよう。

 

 さてEnola Gayの意味であるが、「天皇を屠れ(切り殺せ)」がそれである

 ユダヤ勢力が君主制を国家破壊のために非常に重要な第一段階と考えていることは再三触れたが、日本の「天皇制」は第一次大戦でロシア、ドイツ、オーストリーハンガリーの三大王冠を射落した後残るのは日本の「天皇制」であったことも触れたが、いよいよ最終の目的を達しようとするわけである。

 戦局の行方は問題ではなかった。君主制廃止への最後の攻撃である。ただし、これは天皇を直接宮城攻撃によって抹殺するという意味では勿論ないが、いずれにせよ、これがユダヤ勢力の筋書き通りに運ばれたという事実はこれで証明される。

 さて、ルーズベルトは原爆投下を見ずして他界するのであるが、そのエビゴーネン達はGHQに乗り込んで「日本改革」を行うことになる。

以下略

 

それだけに、ライシ大統領の事故死も裏があるのでは?と勘繰ってしまうんですよね。

 

で、不思議なのは英米イスラエル戦争犯罪は全くお咎めなし。

そして、イランの核科学者の暗殺もモサドは何のお咎めもなし。

CIAによる、過去のアフリカや中南米などの大統領暗殺にも何のお咎めなし。

世界は英米イスラエルの犯罪には目を塞ぎ、耳を塞ぎ、口を閉じる。

 

 

 さて、ここからは「ニュルンベルク裁判の不都合な真実」の続きを書いていきます。

ニュルンベルク裁判の完全崩壊〗

加藤継志著/沢口祐司監修

>絞首刑は1946年10月16日に執行されました。

次に引用するのは、絞首刑台に立った人々の最後の言葉です(マーザー 393頁)

 

カルテンブルンナー

「私は私の国民と私の祖国に、熱い心をもって仕えました。私は私の義務を、祖国の法律に従って果たしました。艱難の時代に、わが国民がもっぱら軍人的な人たちによぅて率いられなかったことを私は残念に思います。犯罪が行われたことは残念ですが、私はそれになんのかかわりもありません。ドイツよ。すこやかに!」

 

フランク

(呟くように)「拘留中、私に与えられました好意ある取り扱いに感謝いたします。神よ、願わくば私を慈悲深く迎えてくださらんことを!」

(声高く)「永遠なるドイツ万歳!」

 

シュトライヒャー

「1946年ブーリムフェスト(ユダヤの例祭、昔のユダヤ迫害をしのぶ)そして今、神のもとへ(短い間)ボルシェヴィスト達が、君たちをいつか絞首刑にするぞ。(もっと長い間)私は神のもとにある。神父様!(顔にマスクをかけられた状態で)アデーレ!愛するアデーレ!」

 

ザウケル

(非常に興奮して)「私は無実で死ぬのだ。判決は間違っている。神よ、ドイツを守りたまえ。ドイツを再び偉大に!ドイツ万歳!神よわが家族を守りたまえ!」

 

ヨードル

(誇り高く冷静に)「わがドイツよ、挨拶を送ります」

 

ザイス=インクヴァルト

(静かに、誓うように)「この死刑執行が、第二次世界大戦の悲劇の最終章であること、そしてこの大戦の教訓がこれから引き出されるよう、諸国民の平和と理解が成就せんことを希望します。私はドイツを信じます。

 

 被告たちの中で実質的にナンバーワンだったゲーリングは、このリストの中には入っていません。彼は、ひそかに持ち込んだ青酸カリを服毒し、死刑執行前に自決したからです。

 最後の最後で、彼はIMT(ニュルンベルク裁判)に対するささやかな抵抗を成功させたのです。

 文献資料から伝わってくる、あくまでも個人的印象に過ぎませんが、ゲーリングは確かに国家のトップに立つに相応しい器量と魅力を兼ね備えた人物だったと思えます。彼の法廷での戦いは常に堂々たるものであり、米国首席検事のロバート・H・ジャクソンをしばしばやりこめました。

 また、彼が残した最後の言葉の数々も、非常に印象深いものばかりです。

 

「連合軍管理委員会へ

 銃殺刑であれば、私はまったく異議を唱えなかったであろう。しかしながら、ドイツ国家元帥を絞首刑に処することを許すわけにはいかない。ドイツのために、私はこの絞首刑を認めることができないのだ。さらに、私は、敵による処罰を甘んじて受けるという、道徳上の義務を感じていない。こうした理由により、私は、偉大なるハンニバル将軍のように死ぬことを選ぶことにした。」

 

「われわれの死を人気第一主義の報道陣に対する見世物にするとは、悪趣味の極みであると考える。・・・こうした終わり方が、検察側と判事団のしめした卑劣さと軌を一にするものであることは間違いない。すべては、見世物裁判、質の悪い喜劇だったのだ。私個人としては、こうした人気第一主義を避け、観客のいないなかで、死ぬことにする。」(連合軍管理委員会あての手紙 バーシコ 299,303頁)

 

「私の唯一にして最愛の妻よ、私は真剣に考え、心から神に祈ったすえ、悪辣な方法でわが敵に処刑されないために、みずからの命を絶つことにしました。・・・最後の面会であなたに別れを告げたときに、私の人生はおわっていたのです。それ以降、私の心は信じられないほど平静になり、死は解放であると考えるようになりました。監禁されてきた何か月ものあいだ、私というはかない存在から私自身を解放する手段を私が持ちつづけ、けっして見つからなかったことを、神のおぼしめしとしてうけとっています。・・・私はいつまでも、あなたとエッダと親しかった人々を思いつづけることでしょう。我々の偉大にして永遠なる愛のために、私の心臓は最後の鼓動を打っています。」(妻への手紙 同300頁)

 

「・・・今日明らかとなった重大なる犯罪を知ることもなく、国民は、自らの意志とはかかわりなく激発した生存のための戦いに、生死を賭け、忠実かつ勇敢に戦い、そして苦しんだのであります。ドイツ国民は罪を免れております。

 私は戦争を欲したことも招き寄せたこともありません。交渉によって回避しようと全力をつくしたのであります。戦争が勃発したとき、私は勝利を確保しようとあらゆる努力を払いました。・・・私は自分のなしたことを肯定いたします。しかし、自分の行動が、外国民族を戦争によってしめつけ、殺し、奪い、奴隷とし、残虐行為あるいは犯罪を行えという意志によって命じられたという考えは、断固として避けるのであります。

 私を導く唯一の動機は、わが国民とその幸福、その自由、その生活への熱い愛でありました。そのために私は全能の神とわがドイツ国民を証人として呼ぶものであります。」(最終陳述の一節、マーザー 359頁)

 

 21人の受刑者たちの人格、信条、そして終戦までに果たした役割は様々でした。しかし、いずれの人物もドイツに対する深い愛国心の心の持ち主であったことについては共通していました。彼らの行動や判断がドイツにもたらされた悲劇の原因となった可能性を認めたとしても、同時に、それらは祖国に対する愛からなされたものであった事も同時に認めなければなりません。

 

 故に、同胞であるドイツ国民が彼らの死を悼む権利は当然認められてしかるべきです。

 ところが、痛ましいことに、死刑が執行された後、彼らの遺灰は遺族に渡されることなく、そしてどこにも埋葬されることもなく、即日河川にばらまかれたのです。

 翻って、日本の「戦犯」と呼ばれた方々に目を向ければ、彼らは東京裁判の後で公式に名誉回復がなされ、その魂は靖国神社に英霊としてまつられ、ご遺骨は愛知県の「殉国七士廟」に収められることになりました。これと比較すれば、ゲーリングらの魂に対する仕打ちは余りにもむごいものだったと言わざるを得ません。

 

以下続く

 

 アメリカのルーズベルト大統領はユダヤ人でした。第二次世界大戦ユダヤ勢力と共産主義者が仕掛けたもので、もちろん、ドイツと日本での裁判もユダヤ人と共産主義者が主流になってやったものです。

 第二次世界大戦での勝利は、ユダヤ勢力と共産主義者が勝ち取ったものだといえるでしょう。

 なぜ、彼らが勝ち得たのか?

 それは、彼らが「正義」「愛」という考えを持ち合わせていなく、「嘘が平気」「残酷なことも平気」「他者への思いやりがない」「どんな卑怯なことでもやってのける」という、悪魔的思想を持っているからです。

 ただし、ここで言う「ユダヤ人」とは、「ユダヤ教徒」ではありません。「無神論者」で国際共産主義者のことです。

 不思議なことに、彼らは、例えば「アメリカ国籍」でありながら、心は「ユダヤ民族」という意識を持っていることです。なので、彼らには「愛国心」「郷土愛」「家族愛」「歴史、文化に対する愛」も持ち合わせていない。もちろん「神」の存在など全く信じていなくて、むしろ悪魔的な人たちです。

 

 最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字脱字がございましたらご容赦願います。

リンクフリーの記事です。皆様のお役に立ちましたら幸いです。