今日もお立ち寄り有難うございます。
先ずは、いつも目のつけどころがいい、さささのささやんさんの動画をご覧ください。
↑
ここから入って👍を押してね。
またまた、共同通信が「デマ報道」をやらかしていますね。
日本の全国紙や地方紙は共同通信の配信する記事を丸写しとなりますので、日本の世論を間違った方向へ向かわせることになります。
【中国に喰い潰される日本 チャイナリスクの現場から】青木直人著
>■ハンミちゃん一家亡命事件報道で「取材ビザ」発給停止
事態は近年も変わらない。本章の最初の節で紹介した、2002年脱北家族ハンミちゃん一家の日本総領事館亡命事件。この事件を報じた共同通信が報復のターゲットにされた。事件は日本と中国が国交を正常化してから30年目にあたる2002年5月に勃発した。
瀋陽にある日本総領事館に北朝鮮から難民家族が飛び込んだ。中国官憲は敷地内に侵入し、彼らを敷地外に引きずり出した。なすすべもなく見守るだけの日本総領事館員たち。
衝撃的なビデオ映像からは、脱北者家族の必死の亡命劇やジュネーブ協定に違反した中国官憲の姿、そして傍観者と化した領事館日本人職員の姿がくっきりと浮き彫りにされ、事態の深刻さを世界だけでなく、難民問題に無関心な日本のお茶の間にまで伝えた。
当然ながら中国政府の報復が始まった。事件直後から共同通信社の記者の中国訪問に対して「取材ビザ」が一切発給されなくなったのである。
(中略)
中国政府の報復に加えて、現場の記者を困惑させたのは、ほからならぬ本社上層部が取材ビザの発給停止について、中国政府に対し、正式な抗議を行わなかったことだった。
現場には失望と怒りの声が充満したが、結局、両者の間で、事件発生から半年後の11月に手打ちが行われ、直後に開催された第16回共産党大会に取材を要請していた記者に取材ビザが発給され、幕引きが行われた。
(中略)
■アメとムチで駐在記者を搦めとる中国の手口
共同通信は、1987年にもH北京特派員が中国から追放されている。このときも日本の北京駐在記者たちの腰の引け方が目立った。
H記者は、1979年の中越戦争勃発を世界に先駆けてスクープした、世界に誇りうる有能なチャイナ・ウォッチャで、他社の特派員によれば、「Hに特ダネを抜かれても本社から一度も叱責されたことはなかった」。あのオトコは別格だ、彼ならに枯れてもしょうがない。これが東京本社のホンネだったというほど、実力は抜きん出ていた。そのH記者が逮捕され、北京を追われた。胡耀邦総書記解任のスクープが原因だった。
彼と親交のあった日本人は当時を回想していまも憤る。
「釈放された後、Hさんは毎夜毎夜アルコール漬けの生活だった。日本人記者は中国政府が怖いのか、そんな彼に近寄らなくなった」
「帰国の日、空港まで彼を見送ったのは『ル・モンド』などの欧米の記者だけ。日本人特派員は誰もいない。外国の記者たちは車のクラクションを鳴らして当局の追放処分に抗議したというのに」
冷淡で日和見なのは、日本の外務省も同様だ。事件について「遺憾」の意を中国側に伝えただけで。
以下略
日本政府も社の上層部も誰も現場で働く記者たちを守ろうとしない…
自分の命と引き換えに、このような危険な現場で誰が働こうと思いますか?
結局、優秀な人材は消されていき、中国共産党の言いうがままの記事を配信するようになっていく。
私はこの部分を読みながら胸が潰れそうでこみ上げるものがありました。
この本を手にしたのはもう15年くらい前です。
それから15年…どんどん共同通信が落ちぶれていって、とうとう中国のデマを垂れ流すまでになっちゃいましたね。
・
・
・
もはや「妨害派」 国葬反対派の過激化止まらず、参列知事に住民監査請求、各国大使館へ欠席を求める手紙まで(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
>9月27日に行われる安倍晋三元首相の国葬が近づくなか、国葬に反対する活動が、過激さを増している。
(中略)
「国葬直前の23日からの3連休でも、多くのデモが予定されており、国葬当日にも『国葬会場=日本武道館を包囲しよう』と呼び掛けている団体があります。外国人の要人も多数、出席し、武道館周辺は厳重な警備体制が敷かれるので『包囲』は難しいでしょう。しかしここまでやると、デモどころか“妨害行為”といわれても仕方ないのではないでしょうか」(社会部記者)
国葬には静岡、長野、沖縄を除く44都道府県の知事が参列を表明しているが、それを阻止しようとする動きもある、国葬は違憲で、知事の参列に公費を支出することが地方自治法に違反とするとして、弁護士や市民団体による、支出差し止めを求める住民監査請求が、全国各地でおこなわれているのだ。
また、在京の外国大使館にも、国葬の欠席を求める文書が届いたことも話題となっている。
《日本ジャーナリスト会議は、公式ホームページで《日本ジャーナリスト会議(JCJ)は安倍晋三元首相の「国葬」に反対し、世界の人々に向けてと題する声明を9月12日に発表しました。日本外国特派員協会、国境なき記者団(パリ)、ならびに関係する在日各国大使館あてにファックスやメールで送付します。同時に在京の日本メディアにも送ります》
と掲載。これとは別に、大使館へ国葬欠席を求める手紙を送っている市民活動家も存在する。
ますますエスカレートする反対派の行動に、ネットにはこんな声が。
《国民の多くが、過激派も参加する当日の国葬反対デモを不安に感じています》
《安倍晋三元総理大臣の国葬を反対したり欠席するのは、個人の自由ですが、各国の大使館に欠席をしてくださいとか、おかしくないですか?日本国民の個々のかってですが、他人にとやかく言うのは日本人の恥です》
主張するのは自由だが、行き過ぎた行動は、国民の分断を助長しかねない。
おそらく、ここまで過激な国葬妨害をやっているのは、中国共産党からの指令なのではないでしょうか?
↑
ここから入って👍を押してね。
「国葬反対デモ」で、過激派が「中国への侵略戦争をとめよう」と訴えていますよね。
こんな荒唐無稽なことを言うのは、中国共産党しかいないでしょう。
「国葬反対」派の言動を見ても、中国共産党の思惑通りのことを主張し行動しています。
産経新聞 令和4年(2022年)9月20日
【国葬反対訴えの集会 立共社幹部らが参加】
> 立憲民主党、共産党、社民党の幹部らが19日、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた集会に参加し、この日で成立から7年を迎えた安全保障関連の廃止や、安倍晋三元首相の国葬への反対などを訴えた。立民は阿部知子衆院議員、共産党は志位和夫委員長、社民は福島瑞穂党首が参加し、連帯を確認した。
↑
なんと、元全共闘の阿部知子、日本共産党の志位和夫、元社会党の福島瑞穂(中核派)が「連帯」して闘争をすることを確認したようです。
中国の大物工作員の廖承志が来日して、ある指令があり、日本共産党から「梯子を外された山村工作隊や中核自衛隊」が後に、「民戦の朝鮮人党員は朝鮮総連」へ、「日本人党員は全共闘」へと分裂して、それから「熾烈な内ゲバ」を通してそれぞれの「過激派」へと移り、「日本赤軍、連合赤軍、中核派、革マル派、東アジア反日武装戦線…」などなどへと散らばっていきました。
ところが現在「総がかり行動実行委員会」という組織を作り、朝鮮総連系の「関西生コン」、全共闘の面々、日本共産党などが「共闘」をしているのです。
あの51年当時に戻って「●●戦争後方攪乱活動」をやっている気配です。
これって…「劉少奇テーゼ」の再来なのでしょうか?
「劉少奇テーゼ」というのは…
朝鮮戦争休戦会談が開城(ケソン)で始まるのは1951年7月です。この情勢下、日本共産党は51年2月、第4回全国協議会(四全協)で武装闘争方針を提起しました。「今日の植民地・従属国の解放闘争の主要な形態は武力闘争である」という、当時の中華人民共和国副主席劉少奇演説に従ったものといわれますが、日本主流(所感派)は強く中国共産党の影響を受けていたのです。
(中略)
武装闘争方針は、51年10月の5全協で51年綱領として確定されます。これが新左翼武装闘争のルーツみたいなものです。
中核自衛隊(軍事組織)や山村工作隊を組織し、農村が都市を包囲するという中国革命型の人民戦争路線が採用されました。
(中略)
この51年綱領が報道されたあと、52年5月1日、騒乱罪が適用された血のメーデー事件がおきます。
(中略)
このとき騒乱罪で起訴されたのは261人、デモ隊に死者が2人出る惨事となりました(72年に高裁で騒乱罪は無罪判決)。
52年6月には吹田事件(101人が騒乱罪で起訴)がおきます。高裁では騒乱罪は適用されず、暴力行為ほかで有罪になります。
つづいて7月には、大須事件(150人が騒乱罪で起訴、警官のピストルで一人が死亡)がおきますが(78年に騒乱罪が確定)、以上の3つの事件を戦後三大騒乱事件といいます。
共産党の連続した実力決起がおきていったのです。朝鮮戦争が与えた影響は本当に大きかったのです。
さらにこの年、共産党の動きを封じるために公布された破防法が4つの事件で適用されます。理由はいずれも共産党員による文書の配布(内乱、外患の罪の教唆等、地裁判決で無罪)でした。
これ以外にも、52年1月に札幌でおきた白鳥事件と呼ばれる警察官射殺(最高裁で懲役20年の判決)、5月30日の板橋署岩之坂上交番襲撃(200人が交番を襲撃、警官の銃による応戦で3人死亡)、6月の大分県菅生村での交番爆破(5人の共産党員らが逮捕されるが、高裁段階で警官が被告にダイナマイトを渡したと証言、無罪判決)などの事件が相次ぎます。
(中略)
日本共産党は、1955年7月、6全協によってそれまでの中国共産党寄りの農村根拠地化をめざす武装闘争路線をすてます。
(中略)
しかし農村に入り込み、火炎瓶をカバンに入れて闘っていた学生たちにとっては、この転換は2階に上がっていたのに梯子をはずされてしまったといえるものでした。
以下略
次に中国共産党は「日本社会党」の支持母体へと過激な闘争を指令していったのです。
その典型が「現在総がかり行動実行委員会」や「中国共産党対日工作組織」へ顏を出す元日本共産党「高野孟」の父「高野実」が率いた「総評」ですね。
よど号ハイジャック犯、日本人拉致とも繋がるテロリスト集団が今、「国葬反対運動」を展開しているわけです。
「関西生コンを支援する会」の呼びかけ人プロフィールと支援する議員 - HONTOBAKO
↑
最後までお読みくださいまして有難うございます。
誤字脱字がございましたらご容赦くださいませ。
リンクフリーの記事です。皆様のお役に立ちましたら幸いです。