自分達の黒い過去を隠し、日本人を悪者に仕立てあげる在日〇〇人と変態左翼②

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

昨日の記事【自分達の黒い過去を隠し、日本人を悪者に仕立て上げる在日〇〇人と変態左翼①】の続きです。

 

北朝鮮利権の真相】野村旗守

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闇市の原風景

 

 もう一つ、日本人が在日韓国人朝鮮人に対して恐いというより、悪感情を抱いたのは、「戦勝国民」風を吹かして、ルールを無視して勝手に汽車に乗って、思うままに田舎に買い出しに出かけ、それを闇市で売って大きな利益を上げたからである。

 

 敗戦直後、全国の千七百ヵ所の闇市があったといわれている。 東京では、上野、新橋、新宿、池袋、渋谷などにあった。 池袋には西口の旧豊島師範学校跡地、現在の東京芸術劇場付近に、大きくて3,4坪のバラック700軒ほどが密集していた。

 

 闇市を仕切っていたのは、朝連、華僑、日本のテキヤである。 闇市内の縄張り争いは絶え間がなかった。 池袋の闇市では「そこのけ朝連が通る」という状態で、「朝連は大変な力を持って支配していた」と、同じ闇市を仕切っていた飯島連合のテキヤの親分に教えられた。

 

 話を聞いたときには闇市がどうして政治団体の朝連の名前が出てくるのかよくわからなかったが、「朝連と聞くと、誰も入ってこない。 何よりも警察が恐がって近づかないので助かった」(前出のテキヤの親分)という。 「すると皆さんは、朝連に守られて商売したということですか」と聞くと、「そうだ」という答えが返ってきた。

 

 前出の朴憲行氏は、敗戦の翌9月に、大阪駅近く、梅田の闇市で一家総出で30坪のカレー屋を始めた。 当時すでに闇市に何千軒もの店が出ていたという。

 

 闇市は「弱肉強食のような状態であり、買い出し者や隠匿物資、アメリカ軍の横流し業者が横行し、それを強奪しようとする復員兵達やギャング達も横行していた。

(中略)

 朴氏の『軌跡』によれば、梅田の闇市でも台湾系商人と朝鮮人系商人の縄張り争いが起き、日本刀や拳銃で抗争は三日続き、相当の負傷者を出したのち、米軍のMPの介入でようやく収拾したという。 当時大都会にあった闇市に限定していうなら、無政府状態であったといっても過言ではなかった。

 

 日本人の庶民たちは こういった在日韓国・朝鮮人、中国人の言動を見て「人の弱みにつけ込んで……」と密かに恨みを抱いた。 日本の朝鮮人像は、観念的なものではなく、いま見てきたように具体的な経験を通じて作られたものだ。

 

 そして日本人拉致はデマとデッチ上げと否定してきたが、当の金正日自身今までの発言とまるっきり違い、日本人を拉致していたことを認めた。 核兵器を開発していないと言ってきたが、これまた核開発を認めた。

 

 日本人が、こういった金正日政権や在日朝鮮人を恐い、信用できない、警戒すべき存在と思うのは偏見でも差別でもない。 いま見てきたように充分に根拠があることであることを在日韓国・朝鮮人は直視すべきであろう。

 

    ⇑

この書籍の書いてあること以上に、在日韓国・朝鮮人たちの「犯罪」は酷かったようです。

在日韓国・朝鮮人の事件年表 - Wikipedia

 

参考動画:村田春樹は語る!敗戦後朝鮮人はなにをしたか - YouTube

 

国会でも在日韓国・朝鮮人の度を越した犯罪を取り上げています。

     ⇓

衆議院会議録情報 第023回国会 法務委員会 第3号

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 >〇内田政府委員

 われわれ事務当局が現在考えております考え方を率直にお答え申し上げます。

 三田村委員もとくに御承知のことと存じますが、遺憾ながら日本におります朝鮮人、先ほど委員もおっしゃいました意味で申し上げます朝鮮人でございますが、非常に犯罪者が多いのでございます。

 

 現在刑務所におります人員総数約6万人のうち、ほぼその1割が朝鮮人によって占められておるという現状でございます。 これを全人口の比率から考えますと、日本人の犯罪率に比べまして10数倍という実情でございます。

 

 その結果、出入国管理令によりますと、御承知の通り、その24条に退却強制に付してよい場合のことが列挙してございますが、その中の第4項、本邦に在留する外国人で左に掲げる者の一に該当するものという中の、今問題になっておりますのは主としてこれでございますが、そのリ号に、「無期又は1年をこえる懲役若しくは禁錮に処せられた者。但し、執行猶予の言渡を受けた者を除く。」、こういう条文がございまして、この条項に該当いたします朝鮮人の数は非常に多いのでございます。

 

 しかしながら、他面、日韓の間にかねて外交上の問題になりながらいまだに解決していない彼らの処遇の問題というものがございまして、韓国側のいろいろ主張しております言い分にもわれわれとして相当耳を傾けてやらねばならない主張もございますので、この条項をそのまま運用いたしまして退去に付するということが妥当とはわれわれ自身も考えておりません。

 

 その結果、実際刑務所で刑期を終りまして出て参りました者の中から、大体、われわれの基準で申しますと、非常に凶悪な悪質な犯罪者、たとえて申しますならば殺人とか強盗とかいう種類の犯罪者、あるいはたとえば麻薬関係、それからヒロポンの、これも単に媒介とか使用したというのでなくして、製造をやっておるような非常に悪質な者、あるいは普通の犯罪者でございますと大体三犯以上くらいの者で、われわれの観念からいたして犯罪の上に生活が成り立っておるのではないかというふうに認めざる得ないような悪質者を退去強制処分に付しております。

 

 そうしてそれを大村に送っておるのでございますが、これは大村に収容すること自体が目的というわけでは毛頭ないのでございまして……

(中略)

 

 〇内田政務委員

 ただいまの大村の現状で申し上げますと、12月5日現在の数字で、大村におります全員は1,685でございます。 そのうち密入国が1,263でございます。

 それで、これを引きました数が422となっておりますが、この中には、いわゆる犯罪の以外のもの、と申しますのは、いわゆる不法残留、正規に入りまして、その在留資格がなくなったにもかかわらずとどまっておるような者、そのほかの理由で逮捕になった者も含んでありまして、先ほど申したような、いわゆる凶悪犯罪あるいは累犯というような理由で逮捕した者は、このうち370という数字でございます。

(中略)

 

〇内村政府委員

 密入国者の中にも、確かに、私の記憶しております限り、密入国をして来た上に犯罪をやったというのも数件でございます。

しかし、ただいま三田村委員のおっしゃいますように、密費が目的だというよう認められます者には、むしろ逆に、日本に在留しながら密費が目的で行って帰ってきた、あるいは密入国者を日本に連れてくるというようなブローカーのような立場で行って帰ってきた者などをこの密入国というカテゴリーに入れておるのもございます。

 

 向こうから来た者でそういう者もあるかもしれないと思いますが、現在まで私どもが扱いました数回密入国をしておるという例を見ますと、これはむしろ、家族の大部分ではないにいたしましても、家族のある部分がこちらにおりまして、本人は一度帰っていったのだけれども、向こうの生活があまりにもおもしろくないので、こちらの家族を頼ってやってくることが、われわれの報に密入国の現行犯ということでつかまってしまうたために帰された、やはりどうしても日本に来たいというのでまた来る、こういうようなことで2度3度になっておる実例がございますが、特にそれがゆえに悪質である、

あるいは特に麻薬などの密輸入を目的にやっておるというような事例はまだ見つかっておりません。

(中略)

 

〇三田村委員

 だんだんその実態は明らかになってきたようでありますが、先ほど、刑事局長の御説明ですが、いわゆる内地在留の朝鮮人の犯罪者が非常に多いのです。

 

以下略

 

以上のように、在日韓国・朝鮮人の犯罪が日本人の生活を脅かしていたわけです。

それがどういうわけか、在日韓国・朝鮮人の間では「密入国⇒強制連行」「在日韓国・朝鮮人の凶悪犯罪⇒日本人が差別、ヘイトする」という主張にすり替わってしまっています。

 

国会でもこうして記録があるのに、どうして日本のマスメディアや変態左翼は その事実を隠そうとするのでしょうか?

 

長くなりましたので、続きは次回にさせていただきます。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字・脱字がございましたらご容赦くださいませ。

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自分達の黒い過去を隠し、日本人を悪者に仕立て上げる在日〇〇人と変態左翼①

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 BUZZFeeD  2019.9.7

 「私は在日3世」。彼女は手を震わせながら、渋谷で聴衆に立った。

>「嫌韓」をめぐる一連の報道を受けて、朝鮮半島をルーツとする人々への差別と共生を呼びかける「日韓連帯アクション0907」が9月7日、東京・渋谷で開かれた。

(中略)

「日韓連帯アクション0907」は、沖縄県における米軍普天間基地の名護市辺野古移設に伴う埋め立ての是非を問う県民投票の実現にこぎつけた大学生の元山仁士郎さん(27)ら5人ほどが続いた。

 

きっかけは、9月2日発売の小学館週刊ポスト』(9月13日号)が「韓国なんて要らない」と題した特集を掲載したこと。 さらに、TBS・CBC系の情報番組「ゴゴスマ~GoGo Smil(以下・ゴゴスマ)において、出演者が「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかないからね」と発言したことなどだった。

(中略)

日本で暮らす朝鮮半島をルーツに持つ人々は日常のあらゆる場面において、これまで以上に不安を抱えながら生活をしています。

 

確かに、今の日韓の政治的関係は難しい状況にあります。でも、だからといって韓国・朝鮮半島をルーツに持つ人々に対する差別が許される訳ではありません。

以下略

 

もちろん差別はよくありませんね。

でも「嫌韓」だからといって、日本人が在日韓国人を差別するような話は寡聞に聞いたことがありません。

むしろ「関係ない」ことで、勝手に騒いでいるのは そちらの方ではありませんか?

 

こうして、「差別」「差別」「ヘイト」「ヘイト」と被害?を叫ぶから、日本人がうんざりするのです。

 

今回の日本人の「嫌韓」は、「国同士の約束を破る韓国」「反日デモを繰り返す韓国人」に対して、日本人の「韓国疲れ」があります。

 

参考動画:第57回 在日コリアンはなぜ嫌われるか? - YouTube

 

日本人が韓国人のように、「韓国国旗を切り裂いたり、燃やしたり、踏みつけたり」しましたか?

「韓国製品の不買運動」をしましたか?

 

日本人の「嫌韓」を増長させているのは、「韓国自身」なんですよ。

どうして、そこが理解できないのでしょうか?

 

まぁ、無理もないか…「連帯アクション」って、「変態左翼」の集まりですものね。

なにせ「元山仁士郎」というお方は、「Wikipedia」で調べると…

「SEALDs」や「SEALDs RYUKYU」の設立に参画。

玉城デニー沖縄県知事、ジャーナリスト津田大介早稲田大学教授、ORANGRANGEのYOHとトーク企画に出演した。

    ⇑

元山氏がどういうスジの人物かわかりますよね。

 

 

さらに「在日3世の女性」という方が、次のように話します。

>「私は在日3世で、こうやって顔を出すのはできればやめたい。でもそうは言っていられない。私は日本生れ、日本育ちで、日本の学校に行ったので、韓国語はしゃべれません。『なので韓国に帰れ』と言われても帰れません。」

 

「『国から出て行け』とか『帰れ』とか言われても、私は一ミリも傷つきません。嫌がらせをしようと思って言ってくるんだと思うんですが、言われ慣れているんで」

(中略)

「私たちはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際にいると思っています。今の時代は、個人情報を簡単に渡せるので、突然いろんな人がやってきて、連れ出されて殺されるってことも想像しています」

以下略

      ⇑

「日本人が嫌がらせをする」「日本人は自分たちを殺す」…

こういった彼女等の「根も葉もない悪質な妄言」が、日本人の心を傷つけているんですよ! どうしてそれが分からないのでしょうか?

 

そもそも、「韓国語がしゃべれない」だけで、帰れないのでしょうか?

韓国語を勉強すればいいじゃないですか!

「野蛮な日本にどうして住み続けているの?」と逆に聞きたくなります。

そういうことを言うから「じゃあ、帰ったら?」という話になるんですよ。

 

そして、どうして「3世」まで「帰化」しないのでしょうか?

日本に住むのが嫌で、韓国にそこまで思入れがあるのなら、「帰ったら?」という話になりますよね。

 

結局、自分たちが「嫌韓」を作り出していることに気がつくべきです。

 

さて、彼女らが意図的に隠しているのか?それとも親から聞かされていないのか?

在日〇〇人の「黒い歴史」が隠されています。

若い方たちの中には「ネット」で もうご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、「一番重要な暗黒の歴史」を知ることで…そこから「真の友好」を築いていかなければ解決できないと思います。

 

北朝鮮利権の真相】野村旗守 編

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>■タブーは差別を作る

 

 在日韓国・朝鮮人問題、韓国・北朝鮮問題にはタブーが多すぎる。タブーは差別を作る。 真の友好を願うなら、タブーを作ってはならないというのが筆者の持論である。

 前述のように、日本人は在日韓国・朝鮮人に対して、とくに総聯に対して恐れを抱いている。これは日本人の偏見であろうか。それはまったく違うというのが筆者の認識である。

(中略)

総聯の人間が全部がそうだと思わないが、電話で脅された人間は「総聯は恐い」という印象を持った。拉致された五人が帰ってきた直後、総聯中央で「こうなった元凶は佐藤のやつだ。やっぱりあいつは生かしておくのではなかった」という会話が交わされていたという。

 

 筆者は、長年在日韓国・朝鮮人とつきあってきた経験から、大袈裟な表現をするのは彼らの常であることを知っている。「そんなことぐらいは言うだろうな」と思って気にも止めないで聞いていた。

 しかし、事情を知らない日本人が聞いたら、テロ集団ということになる。要するに粗野で柄が悪いため、本国の金正日政権の言動と重ね合わされ、「何をやるかわからない人たち」という恐怖感を日本人に与えていることは間違いない。

 

■白昼堂々のテロ

 以上は最近の話であるが、少し歴史を遡って、在日韓国・朝鮮人がどのようにして日本人に恐怖感を抱かせたかを検討してみる。

 

 日本が、第二次世界大戦で敗北したのが、45年8月15日である。 当時、日本に居住していた朝鮮人(当時の呼称を使う)は、資料によっていろいろ数字が違うが、大体210万人と推定される。

 

 在日朝鮮人の側からすると今まで自分たちを抑圧してきた支配者が、米国など連合国に敗北したのだ。 それを契機に被抑圧民族から解放されることになった当時、在日朝鮮人の多くの人が考えたことは朝鮮への帰国であった。 先を争って韓国釜山港に近い、福岡県博多港鳥取県先崎港を目指して殺到した。

 

 この動きに伴って在日朝鮮人の間から同胞の帰国を援護するという動きが各地で発生した。それらの団体が一つになって「在日本朝鮮人運動連盟」(朝連)日比谷公会堂と両国公会堂で結成大会を開催したのが、昭和20(45)年10月15日(日比谷公会堂)、16日(両国公会堂)である。

 

 朝連結成当時の構成は、共産主義者民族主義者、アナキスト親日派など今流の言葉でいうなら超党派の集まりであったのだが、分裂は、大会二日目に左翼の右翼に対するテロという形だ顕在化した。

(中略)

「(略)共産主義者たちはとうとう白昼テロをやってのけたのである。罵倒と喊声が乱れ飛ぶなかで、拳と靴、棒切れが容赦なく私を襲った。私は、生まれてはじめて経験する暴挙の前でなすすべもなく、私の運命を彼らの残忍な手にゆだねるほかなかった。 頭と顔が裂け、血がほとばしり瀕死の状態に陥った。

『こいつらを外にほうりだせ』と叫ぶ声がかすかに聞こえてきた。(略)」

(中略)

筆者は、晩年の権逸先生と親しかったこともあって、先生の恐怖と無念を他人事とは思えなかった。 共産主義者たちのテロは昨日や今日のことでないことを我々は確りと知っておく必要があろう。

 

■民青VS建青、仁義なき戦い

 こういう状態であるから、あっという間に朝連は金天海、金斗鎔ら共産主義者に支配されていった。

(中略)

民族間内の集団闘争(内ゲバ)は、昭和20年6件、昭和24年29件、昭和25年21件、昭和26年14件。 昭和27年104件となっている。 昭和27年だけで死傷者は75名に達している(以上の数字は『運動』より)

 

 この数字を見ただけで、民族同士の内ゲバがどんなにすごいものであったか、わかるだろう。 のちの中核、革マルなどの過激派の内ゲバに勝るとも劣らない。

(中略)

しかし、在日朝鮮人は、指令の冒頭の「解放人民として処遇するものである」という箇所に依拠し戦勝国民」と自分たちの都合のよいように解釈したものと推定される。

 

 当時の日本の警察は、朝連などの気迫に圧倒され、彼らに対してなす術がなかった。

敗戦によって日本の警察が警察として機能しないという異常事態が出現したのである。

 

 在日朝鮮人の違法行為は、昭和20年182件。 昭和21年5,336件、参加人員5万人。 昭和22年5,681件、参加人員1万5,600人。 昭和23年86件、参加人員5万4,000人(同年阪神教育事件発生)。 昭和24年108件、参加人員約2万人。昭和25年146件、参加人員4500人。 昭和26年211件、参加人員7200人。 昭和27年396件、この昭和27年には、日本共産党の軍事方針によってメーデー事件、吹田事件、大須事件、朝連の後継団体の民戦(在日朝鮮統一民主戦線)と民団との衝突事件などが起こり、いずれも闘争の先頭にいたのが在日朝鮮人であった。

 

 以上の数字を見ただけでも在日韓国・朝鮮人に嫌悪を抱く日本人は少なくなかったことは多言を要しない。

 

以下略

※金天海、金斗鎔は「日本共産党員」でした。

参考記事:「血のメーデー事件」1952年5月1日 - 姥桜

参考記事:徴用工の未払い賃金は、韓国政府、朝鮮総連、日本共産党に請求せよ! - 姥桜

 

在日韓国、朝鮮人や変態左翼が隠していることが、まだあります。

長くなりましたので、続きは次回にさせていただきます。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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「和夫一家殺害事件」に見る、韓国の中国(支那)属邦時代の風習

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

前回は、「韓国」が反日を叫ぶ際に、必ずと言ってよいほど「日本人の残虐性」を訴えていますが、それは、「韓国に残る中国の属邦時代の名残り」であることを紹介しました。

暗黒半島 韓国の真実 - 姥桜

 

「中国の正体」を理解すれば、「韓国(朝鮮)」が理解できます。

 

親日派のための弁明②】金完燮

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>私は生粋の韓国人である。 でも、韓国人というものがあまりにも情けなく、えいっと死んでしまいたくなるときがある。

 なぜ日本の蛮行は暴いても、自分たちの汚い利己心と下品な鍋根性(熱しやすく冷めやすい)には目をつぶるのか?

 

 日帝時代、朝鮮に移住した日本人の中には立派な人も多かった。ところが和夫一家殺害事件のように、韓国人は自分の間違いを、日本がやったから自分たちもやったといい、事件をうやむやにしようとしている。

 和夫一家の亡骸は釜山に大事に改葬され、日本人の墓参りは今も絶えないという。

 

 和夫は日帝時代によく見られた、慶尚道地域の日本人地主であった。地主とはいっても、和夫一家は日本政府の朝鮮移住政策によって望みもしない朝鮮生活を始めることになったのだ。 公務員だった和夫は、政府の命令でしかたなく朝鮮に赴任したのである。 そのころの日本は一種の軍事独裁体制で、政府の命令に従わなければすぐに売国奴扱いされそうな雰囲気があったという。

 

 当時、朝鮮にいた日本人地主には、小作料を法令の規定以上取り立てる、不届きな輩もいた。 しかし、普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の十分の一しかとらず、村人たちを家族のように考え、喜びも悲しみもともにした。

 生活に困らなかったため、総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。 貧しい小作人が食べ物がないと哀訴すると喜んで食べ物を分けてあげ、村で誰かが亡くなると、家族全員がかけつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。

このように和夫は人間への暖かい愛情をもった人であった。

 

 また、和夫の家族は周囲に孤児がいると連れて帰って面倒をみていたが、一人、二人と増えていき、和夫夫婦はこの孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んでその子たちの父、母と名乗った。 和夫一家は日ごろから朝鮮人を愛し、日本の軍国主義を批判していた。

 だが、天皇の降伏宣言後、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちによって、むごたらしく殺されてしまった。

 

 次は、和夫夫婦が死んだ日、日ごろ深い恩を感じていたキム・ソンス君の報告を記録したものである。 事件当時、キム・ソンス君も加害者だったが、殺人行為には加わらなかったという。

 

 

 その日から、万歳(マンセー)の声とともに太極旗が翻り、ついに朝鮮人の世がやってきた。 神は自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと、和夫君に嫉妬したのだろうか。

 和夫が実の子のように育て、東京帝国大学にまで留学させたAを中心に、和夫の家で教育を受け成人するまで育ててもらった青年たちが、鎌とツルハシ、シャベルをもって、和夫のもとに押しかけた。 

 当時、現場にいたキム・ソンス君は、このときのことを次のように証言している。

 

和夫:(優しい目で)なぜこんなことを、お前たち。

 

 A: チョッパリ! 日本へ失せろ。失せろってんだ。

 

和夫:(わざと怒り声で)私がお前たちに何か間違ったことをしたかい?お前たちはみんな私の子供たちだし、私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。 お前たちの祖国が独立することは、私も日ごろから強く望んできたことだ。 踊りたくなるような嬉しい日に、なんだって凶器をもって私のところに詰めかけてきたんだい。 私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。 (涙を流して)本当に哀しいよ、朝鮮の子供たち。 私は愛情を注いで育ててきたが、結局、日本人と朝鮮人は交じり合うことはできないということなのかい? お前たちが望むんなら、帰ってやろう。

 

 A: 意味深長な目配せをBに送る(財産を全部処分して帰ったら、俺たちはどうやって食ってくんだ?)

 

 B:死ね、チョッパリ、このくそ野郎!

 

 次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされ、それと同時にたくさんのシャベルと鎌が体をずたずたに引きはじめた。 

和夫の妻は耐えられず飛び出してきた。

 それまでじっとしていたCは和夫の妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。 そして、なんと13人は、一週間前までお母さんと呼んでいた彼女を強姦しはじめた(キム・ソンス君はこの場で自分が止めたなら、自分も殺されていただろうと語る)。 彼女はひどい集団強姦の途中で死亡した。

Dは普段お母さんと呼んでいた彼女の全身をめった刺しにし、それでも足りずに内臓を掻き出して撒き散らした。

 

 和夫にはひみこという娘が一人いた。 普段、模範的でよい子だったひみこは、学校が終わって家に戻り両親に起きた惨状を見ると、気が触れてしまった。

 当時、ひみこの慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。 その後、孤児となったひみこは食べもの乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした

 

 結局、彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。 ひみこは小学校6年生だった。

 和夫の財産は「勇猛で愛国心に燃える」朝鮮青年たちの手にまるごと渡り、この事件は村人たちの沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。

 

■「財産」を分け合った南北朝

 日本の敗戦後、南朝鮮地域では9月初めに第24軍団が進駐するまでの約1ヶ月、無政府状態の時期があった。 その後米軍政が始まり、朝鮮に住む日本人が米軍政の命令に従って全員日本に強制引揚させられた。

 

 その中には虐殺された日本人も多くいたとされる。

 

 単に、当時の満州やモンゴル、中国地域にいた日本人よりは、朝鮮にいた日本人の方がずっとましだったというだけで、朝鮮での虐殺は日本でもそれほど関心をもたれていない。 残酷なソ連軍に占領された満州とモンゴル、そして国民党と共産党の中国地域にいた日本人は、軍人であれ民間人であれ、生き残るのが難しかった。

 

 特に、満蒙地域のソ連軍による蛮行は、抑留60万人、虐殺6万人というのが通説だったが、ロシアのジャーナリスト、アルハンゲリスキーが書いた『シベリアの原爆』(邦題:『プリンス近衛殺人事件』新潮社、2000年)という本によりその実情が暴露された。

 この本によると、ソ連による日本人抑留は約100万人に達し、このうち40万人が虐殺されたという。 虐殺された人の方が原爆での死者より多いため、アルハンゲリスキーはタイトルをこう名づけたのである。

(中略)

 それに比べて、少なくとも南朝鮮では終戦初期に特別な事件は起こらなかった。

しかし、日本に対する評判がよかったといっても、その後、海外からいわゆる独立運動家」を自負する者たちが続々と帰国し、米軍政も日本に対する「いじめ」を唆したため、正確な数字は明らかでないにせよ、多くの日本人が虐殺されることになったのである。

 

以下略

 

和夫一家が殺害されるシーンを大文字で強調したのは、「残忍さ」を強調させたのではなく、この「残虐な殺害方法」が「中国由来によるもの」であり、今まで韓国が「日本軍が行った残虐なこと」というのは、「自分たちが何百年と行ってきた残虐な殺害方法」であることを知って欲しいと思ったからです。

 

これらの「残虐な殺害方法」は、前回の記事に書きましたが、「中国古来の方法」と全く同じであることに気がつかれたと思います。

そして、南朝鮮人に日本人への憎しみを植え付けたのが、やはり「間島(琿春)事件」「尼港事件」などを起こした「独立軍:馬賊、匪賊」だったということのようです。

 

韓国の英雄「独立軍」が起こした残虐な鬼畜の「間島(琿春)事件」 - 姥桜

 

そうなると…

日本共産党が「民団の光復節」で演説していた内容が気になりますね。

 

韓国民団 光復節中央記念式/志位委員長のあいさつ(全文) 

>『日本共産党は、戦前の時代から、日本帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党として、…』

      ⇑

因みに、「ソ連中国国民党中国共産党が日本人を虐殺した」時も、「日本共産党も日本人虐殺に加担していた」のをご存じでしょうか…

長くなりましたので、またの機会にさせていただきます。

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

誤字・脱字がございましたらご容赦くださいませ。

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暗黒半島 韓国の真実

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

週刊ポスト』の「韓国なんて要らない」という特集記事に、在日作家や帰化した作家たちから批判が殺到して、「小学館」は「謝罪」をしました。

 

 でも私はこれには納得がいきません。

「あいちトリエンナーレ」で「昭和天皇御真影を焼いて、その灰を土足でグイグイ踏みつける動画」や「特攻隊を揶揄したゴミ細工」等々、到底日本人が受け入れられない展覧会に多くの国民から抗議の電話があった際に、変態左翼の人たちは「表現の自由を踏みにじった」と主張しているわけですよ。

 

週刊ポスト」には「表現の自由」は許されないんですか?

ましてや「週刊ポスト」は、「公金(税金)」から「助成金」を受けているわけではありません。

すべて、「自費」で賄っているんですよ!

 

反日」は「表現の自由」と言いながら、「嫌韓反韓」は許されないって、どういうこと?

 

韓国はもう何十年と「反日」で、日本の国旗などを傷つけているんですよ。

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親日罪」「不買運動」「日本を貶めるプロパガンダ映画」…

数えればキリがありません。

 

日本人はいつまで「変態左翼」の「言論封鎖」を受けなくてはならないのでしょうか。

日本人が「嫌韓」を言えば「差別、ヘイト」と騒ぐ「変態左翼」の「二重基準」にはもう、ウンザリします。

 

 これこそが、「日韓の関係」を悪くさせている原因だと思います。

 

さて、韓国では「日本軍に残酷な虐待を受けてきた」というのが「定説」になっています。

しかし、戦前の文献などを読むと、それは「全く逆」のことで、日本人が韓国(朝鮮人)に酷い目に遭ってきたことが分かります。

 

韓国が主張する「残虐」なことは、すべて韓国人が行ってきたことです!

 

関東大震災 朝鮮人虐殺の真実】工藤美代子著

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>ただ彼らがいいつのる殺害方法の残忍性こそ、日本の歴史にはないもので中国から朝鮮半島へ渡った独特の蛮行だということを確認しておきたい。 それに関しては「第二章」で閔妃の追ってによって殺害された金玉均への記録で述べた通りである。

以下略

      ⇑

参考:金玉均 - Wikipedia

 

 

韓国では「日本軍が生きた人間をかまゆでした」と主張していますが…

中国では「釜茹で」を「烹煮(ほうしゃ)」というそうです。

    ⇓

【本当に残酷な中国史 大書「資治通艦」を読み解く】

麻生川静男著

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>高祖は勘がするどく人の性格をよく見抜き、数知れず人を陥れた。 尊大に振る舞い、中国本土の天子などは「洛陽の知事」(洛州刺史)にすぎないと見下した。中国南部の珍しい品々を収集し、豪華な調度を揃え、壮麗な宮殿は全て金銀や宝石で飾られていた。

 

 刑罰は極めて残酷で、鼻に酢を注いだり、舌を切ったり、手足をバラバラにしたり、腸を取り出したり、炙ったり、釜茹ゆでにしたりする法律を作った。

また、池に多くの毒蛇を放ち、罪人をその中に投げ込んだ。 これを水獄という。

     ⇑

ここで、『間島(琿春)事件』を思い出します。

大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)」が、日本人街を襲って行った残酷な虐殺方法を。

そして、韓国が「日本軍が朝鮮人を残虐な方法で拷問した」と主張する件を。

 

参考記事:韓国の英雄「独立軍」が起こした残虐な鬼畜の「間島(琿春)事件」 - 姥桜

 

 

暗黒大陸 中国の真実】ラルフ・タウンゼント著

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■残虐な死刑や拷問

 有名な話だが、つい最近まで、有罪者に対する拷問は合法だった。

「細切れの刑」がよく行われた。 即死しない部分を細かく切り取る刑である。

「くじ引きの刑」というものもある。 籠の中に体の部分を書いた札を付けたナイフがたくさん入っている。 これを目隠しして引く。 札に耳と書いてあれば耳、鼻と書いてあれば鼻を切り取る。 死ぬまで延々と続く。

もちろん受刑者の身内が「袖の下」を使えば、不思議と致命的部位を書いたナイフが当たる。

 

 今はこのような残虐な刑はないが、僻地では今でも役人の好き勝手に行われている。

止む得ないのかも知れない。 というのは、頑迷で凶暴な民衆が相手では仮借のない方法が必要だからである。

(中略)

ここは地獄の沙汰も金次第である。

(中略)

赴任する前に「親指の掟」を何度も聞いたことがある。「何かの比喩かな」くらい思っていたが、まさか拷問だとは知らなかった。

(中略)

纏足も「拷問好き」が高じて編み出されたものである。

 

 以下略

        ⇑

(中略)が多くてすみません。あまりにも残酷過ぎて…引用できませんでした😖

まだまだ残忍な拷問方法が書かれていますが…さすがに…ここで引用するには残酷過ぎ書けません。すみません<m(__)m>

 なので、Wikipediaを参照してくださいませ。

こちらの方が“まだ優しい”感じがしてショックを受ける方は少ないと思いますので。

      ⇓

参考:凌遅刑 - Wikipedia

 

※因みに、この本は「対中政策」「対朝鮮、韓国政策」には必読の本だと思います。

今の日本人(アメリカ人や世界中の人々も)は、「中国」「朝鮮半島」の「歴史、文化、中国や朝鮮半島の人々の考え方等の真実」を知らなさ過ぎると思うのです。

なので、せめて国会議員になる人は、『暗黒大陸 中国の真実』を読んで、中国人や韓国人の本質を知ってから「外交」を考えてもらいたいと思います。

 

※しかし、「未成年者」には「ショック」が大き過ぎることや、「影響」が大きいのではないかと思いますので私はおすすめしません。

ただ、学校やメディアで過剰に「中国」や「韓国」のことを「良く」表現しています(嘘で塗り固めている)ので、そこは改めていただきたいと思います。

 

最初は「えっ!ここまで言っていいの?」「こんなこと書いて、大丈夫?」と驚きながら読んでいたのですが、この著者は「対中政策のためには、真実(ありのまま)を知ることが肝心」と訴えていますので、「なるほど…」と思いました。

 

そして、「日本人」と「中国人」が「同じ黄色人種」ではあるけど、「全く別の“人種”」であることも主張しています。

「同じアジアの人々」とか、「隣国」という事に捉われて、とんでもない事態に陥ることがないようにと思う次第です。

 

日本人は「忖度」し過ぎますね。だから「選択を誤る」のです。

「隣国だから友好第一」というのは、「隣に住む悪魔とも友好第一」と言って、「喰い潰される」ということもあり、危険なことです。

「相手(中国、韓国、北朝鮮)」は、「友好=陥れる」ことしか考えていないのですから。

上記の本を読んで、つくづく「納得」した次第です。

 

南京大虐殺』『731細菌部隊』『従軍慰安婦』『徴用工』等々は、「中国」や「朝鮮半島」の人たちだからこそ「考えられる真実」の話だと思うのです。

なぜなら、すべて自分たちが“行ってきた残虐な拷問”だからです。

 

長くなりましたので、続きは次回へとさせていただきます。

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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日本共産党が「関東大震災」を喜んだ理由

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

日本共産党って、韓国の政党なんでしょうか?

共産・小池氏、竹島上陸で「緊張つくったのは安倍政権」 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

産経新聞2019.9.2

 共産党小池晃書記長は2日の記者会見で、韓国の国会議員団による島根県竹島への上陸について問われ「日韓両国の緊張をつくった原因は安倍晋三政権に責任がある」と述べた。 以下略

 

 

(。´・ω・)ん? どうして?

2012年8月10日に、当時の韓国大統領・李明博竹島に上陸したよね。

韓国の国会議員が竹島上陸をするのは、韓国国民向けのアピールですよ。

今、文政権は支持率が下がっているので、人気回復のためなのでは?

 

それにしても、どうしてそんなに「韓国」を擁護するわけ?

 

こうして、何でもかんでも「アベのせい」にするのは、何の意図があるのでしょうか?

中共コミンテルン中国支部)に「安倍首相に憲法改正されたら困る」と言われているから?

 

まぁ、日本共産党は「コミンテルン日本支部」として結党したわけですから、日本の政党ではないことは確かですね。

 

 

さて、その「日本共産党」が韓国のテロリスト(独立軍:馬賊、匪賊)と一緒で、「関東大震災」で日本が甚大な被害を受けていた時に「革命だ!」と喜んでいたようです!

 

日本共産党の研究 上】立花隆

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>ここで大震災にまつわるもう一つのエピソードを紹介しておかねばならない。

 

「そして9月1日。関東大震災であった。地方新聞の全紙面は、もしその新聞が今日残ってゐたら、読者を驚かすよりも、噴飯させるにちがひない途方もない記事で埋められた。

『帝都一瞬にして焼野原と化す』

『富士山没す』

社会主義者にひきゐられた朝鮮人大部隊、軍隊と交戦中

江東方面に市街戦、当局鎮圧の見込みなしと語る

『皇太子殿下行方不明』

 私を驚かしたには、日本の首都の全滅でも、富士山の陥没でもなかった。東京に市街戦、即ち革命が起こったことであった。 同志達は武器をとり、バリケードを築き、赤旗をかざして、帝国主義者の軍隊と戦ってゐる。 朝鮮人だけではなからう 東京の全労働者と被圧迫民衆が革命軍に参加してゐる。 革命軍の一部は軍隊と警察の抵抗を排除して、皇居の中まで侵入したのであらう。 皇太子の行方不明はその結果にちがひない

 私は立ちおくれたと思った。 ただ一人残されたと思った。 田舎の町のつまらない啓蒙運動に無駄な労力をつぎこんでゐる間に、革命が起こってしまった。 上京の日をちょっと繰上げれば、間に合ったものを、僅か1日か2日の差で、革命の落伍者となり階級的裏切者となってしまった」(『文学的回想』9)

 

 これは、当時、東大新人会に属した共産主義運動に参加していた林房雄の回想である。 新人会というのは、左翼学生の集まりで、後の共産党の指導者を輩出させたサークルである。

(中略)

 入党していない未熟な学生だったからこんな意識だったということではない。 最高幹部だった佐野学は、震災当時、上海に亡命中だった。 そこでモスクワから震災の報をきいて駆けつけてきた荒川寒村と落ちあい、これからどうするかを話しあった。その時佐野は、

すぐに日本に帰って革命を起こそう」と主張したという。

(中略)

 これまた共産党の悲劇のもう一つの種子だった。 もちろん、ここで戦前の資本主義が現代の資本主義とちがっていたことを見落としてはならない。

それはマルクスの『資本論』によって分析されたような、恐慌をくり返しつつ破綻へ向かっていく資本主義だった世界大恐慌は1929年)。

以下略

   ⇑

もうこれは「異常」ですね!

東京が焼け野原となり、何十万という人命が奪われ、人々の生活が瓦解したというのに、日本共産党員は「共産革命」のことしか頭になかったんですね!

なんと恐ろしい人達なんでしょうか!

どの口で「人権、平和」言っているのでしょうか?

 

そういえば、日本がバブルが弾けて未曽有のデフレスパイラルに陥った時に、志位和夫は「テレ朝」に出演して嬉々と「これからは社会主義の時代だ」と豪語していました。

「失職」した人が続出してみんなが喘いでいる時に、「ルンルン気分」の様子が異様に見えました。

日本共産党の喜びは「日本が崩壊」することなんだ…

 

ちなみに、「韓国」が「単独恐慌」になりそうなんですが…

やはり、マルクスの『資本論』から言うと、「韓国」は「(ロウソク)革命」が起きて、「赤化」していくことになるんでしょうか?

 

 

※「朝鮮人だけではなかろう」とは…

大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)だけではなかろう」という意味になります。

当時の日本共産党が「大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)」とつるんでいたということになりますね。

 

※「最高幹部だった佐野学は、震災当時、上海に亡命中だった」とは…

上海(コミンテルン)に亡命中だった佐野学」は「上海(コミンテルン大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)」と共に、「日本で共産革命を起こそう!」と主張した…ということになりますね。

 

参考記事:「朝鮮人大虐殺説」の矛盾 - 姥桜

         ⇑

朝鮮半島内の労働組合共産主義者)も、「独立軍:馬賊、匪賊)」の暴動を「革命」と喜んでいました。

 

 

日本共産党委員長志位和夫在日韓国人たちの前で言った言葉

 ⇓

しんぶん赤旗 2010年8月16日

【韓国民団 光復節中央記念式 志位委員長あいさつ(全文)】

日本共産党は、戦前の時代から、帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党として、日韓両国民が、真の親愛の情でむすばれた友好関係をうちたてるために、次の諸点で力をつくす決意です。

      ⇑

やはり日本共産党は、戦前から「大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)」と一緒になって、騒擾事件を起こしていたんですね!

 

通りで、日本共産党は「韓国」を擁護するわけだ!

 

新人会 - Wikipedia

 >会の活動家たちは常に(転向の前後を通じて)大衆を「啓蒙・指導される存在」と見なす指導者的・エリート的な意識から離れることがなく、それゆえ戦後に至るまで学生運動にしばしば現れるエリート主義的・啓蒙主義的傾向の源流となったという見方もある(そういう点では、戦後の全学連全共闘新左翼運動の原型といえる)。

       ⇑

そういえば、「革マル派」から献金を受け取っていた「立憲民主党の党首:枝野幸男」が「河野太郎外相が、韓国に上から目線で、交渉の仕方が適切でなかった」「韓国を追い込んだ河野外相の責任は大きい」「外相を代えるしかない」などと、一体どこの国の国会議員?と思わせる発言をしていましたね。

 

外相を代えるしかない」…枝野氏こそ何様なんでしょうか?上から目線で日本の大臣の人事に口を挟むのは…やはり「革マル派」系列だから?

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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「朝鮮人大虐殺説」の矛盾

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

恨ギョレ 2019.9.3

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>過去の歴史に向き合う日本とドイツの態度が改めてはっきりと対比された。1日に東京で開かれた関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者96年追悼式典で、東京都知事は果たして追悼文を送らなかった。1923年9月の関東大震災時に日本の自警団と軍警が「朝鮮人が井戸に毒を放った」などと流言をまき散らして数千名を虐殺した事件を無視したのだ。

(中略)

 文在寅大統領(ムン・ジェイン)大統領が最近「ドイツが過去を率直に反省して信頼を受ける国になったことを日本は深く胸に刻まなくてはならない」と述べたが、日本が相変わらず過去と正直に向き合うドイツから何の教訓も得られていないようで遺憾だ。

以下略

   ⇑

「ドイツのポーランド侵攻」と「関東大震災時」の話と同一視して語るって、どうなのよ? 頭おかしいんじゃないの?

そもそも、日本は「韓国侵攻」なんてことはしていませんよ。

金日成」が「南朝鮮侵攻」をしたのは事実ですけど…

 

それから「ドイツのポーランド侵攻」は「スロバキア」も一緒に侵攻していました。

その約1週間後くらいに、「ソ連ポーランド侵攻」をしています(独ソ密約)。

なので、ポーランドは「分割」されてしまったわけです。

 

カティンの森事件 - Wikipedia

   ⇑

※「ドイツ」に罪を被せた「ソ連によるホロコースト

参考記事:

悪質なキャプション「ヒトラー安倍による恐怖政治」? - 姥桜

 

 

 

しかし…

朝鮮半島」が二つに分裂したのは、「同胞同志が殺し合った、朝鮮戦争」の休戦後です。

ポーランド」と「韓国」は、「似て非なる」事情で、同一視すべき問題ではありません。

どうして、韓国人はこうもウマシカなんでしょうか。理解に苦しみます。

 

 

さて、昨日の記事にも書きましたが、「不逞朝鮮人(独立軍:馬賊、匪賊)」が日本に侵入してきて、狼藉を働いたことや、「独立新聞」の「数字の曖昧さ」などを取り上げて書きました。

 

さらに付け加えると…

関東大震災 朝鮮人虐殺の真実】工藤美代子著

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>■民族の大量移入

(中略)

在日朝鮮人の人口推移〕

明治42年    790人

大正4年    3,989人

大正5年    5,638人

大正6年   14,501人

大正7年   22,262人

大正8年   28,272人

大正9年   30,175人

大正10年    35,876人

大正11年    59,865人

大正12年    80,617人

ーーーーーーーーー

大正13年  120,238人

大正14年  13,3700人

大正15年  148,503人 

昭和2年    175,911

昭和16年  1,469,230人

昭和19年  1,936,843人

(『日本帝国統計年鑑』、内務省警保局統計による)

 

 政府の統計では、震災時に在日した朝鮮人は8万余人とされる。 ただし、統計には加えられない密航者や住所不定者を加えると10万人以上いたのではないか思われる。

以下略

    ⇑

大正12年9月1日に「関東大震災」が起きました。

そこで、本当に「朝鮮人大虐殺」が行われたとしたら、朝鮮人からしたら日本内地は恐ろしくて仕方ないですよね。

人間の本能として、生き残った在日朝鮮人はみな半島へ戻るのではないでしょうか。

そして、その噂は瞬く間に広がり(朝鮮は流言飛語の国である:『朝鮮紀行』)、朝鮮人は日本内地に来ることはなかったと思われます。

誰だって、殺されるのはまっぴらごめんですからね。

 

ところが、翌年には4万人近く朝鮮人が「増えて」いるんですよ。

さらに、密航者を加える(そもそも、恐ろしい日本になぜ密行してくる?)と、もっと数が増えるわけです。

 

さらに言えば、韓国では日本が「植民地支配で残虐の限りをつくした」と主張しますが、それではなぜ、朝鮮人は(鬼の住む)日本内地に向かって渡航してきたのでしょうか? わざわざ危険な日本に入ってくるのはなぜ?

韓国人は「マゾ」ですか?

 

さらにさらに…

検索結果

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    ⇑

戦争真っ只中のおり、朝鮮人はなぜ大挙して(鬼の住む)日本内地に密航してきたわけ? 

朝鮮人大虐殺」があったと言いながら、「密航」までしてきた神経が理解できません。

      

韓国では、この矛盾をどう説明してくれるのでしょうか?

ぜひ、回答お願いしたいものです。

「強制連行だ!」なんて嘘は言わないでね。

 

なんだか、韓国って「当たり屋」みたいな国ですね…

 

関東大震災 朝鮮人虐殺の真実】より

>朝鮮全土の労働者団体系の感触は、すべて日本内地で同志による暴動から内乱へ、そして革命への道を望んでいる様子が報告されている。 社会主義の極めて強い影響が及んでいたことの証明といえる。

 

 9月6日から9日ごろまでには、内地における朝鮮人によるテロ情報が現地にも入ってきた。

放火、強盗、強姦、殺人、井戸への毒薬投入、爆弾投擲など、震災に乗じた凶暴行為の報せを聞いた在鮮日本人たちは、当然激しい怒りを表した。 これまで震災には快哉を叫んでいた一般の朝鮮人も、さすがに同族の非人道的暴挙に対しては忸怩たる思いに変わり、世界各国からの非難を意識し始め、大勢に順応し罹災難民救済慰問金の募集に参加する者も増えたとも報告されている。

 

だが、過激な労働運動家の集団は全く違うおどろくべき反応を見せた。

 

共産主義を鼓吹する者及之等に依り組織せられたる各種の労働団体は、今次の震災の損害より之に伴う火災の損害が最甚大なる模様なるが、火災は我等と志を同ふせる主義者同人が革命の為放火したるに因るものなり。 我等は此の壮挙を喜び、時期を見て吾人も活動すべく期待し居りたる□〔一字不明〕戒厳令布かれ遂に其の目的を達する能はざりしは遺憾なりと同志間にて語り合ふ者あり」(前掲書)

 

 極めて重要な史料であろう。社会主義者たちとそれに煽動された者が「放火こそ我が同志の壮挙だ」と喜んで叫んでいたというのだから、これ以上の真実はない。

 さらに、震災地における朝鮮人の安否の報告が届いていて、約6千人の保護された氏名が新聞に掲載された。 すると当初生存を気遣っていた者も皆生きていることが判明し、一斉に安堵の声が広がったという。

 

 つまり、6千人とは前章で示したグラフにある収容者の総数(厳密には6797人)のことであるそうであれば「虐殺」と強いて裁定されるのは過剰防衛に認定された233人のみである残りは不幸にも震災で落命した者(身元不明者を含む)、その他は戒厳令下に凶行を働いたテロリストの死者というわけである。

 

 一方、上海の抗日組織「義烈団」の団長金元鳳は北京に滞在していたが9月9日、震災による日本の民心動揺を好機ととらえ、部下を集めて天津から東京へ向かわせたとの報告が上がっている。

(中略)

 上海の「大韓民国仮政府」の下では、表の顔の「独立新聞」と裏の組織「義烈団」が暗躍し、震災の混乱に乗じてさまざまなテロ計画が実行に移されようとしていた。

以下略

     ⇑

当時の不逞鮮人自身が「震災時の暴動」を認めていたわけですね!

 

「金元鳳」のことは以前記事にしていますので、こちらを参考にしてください。

大韓民国臨時政府3.1運動の不都合な真実 - 姥桜

     ⇑

神戸大学新聞文庫「大阪毎日新聞 大正12年4月10日」

【朝鮮赤化の運動】にて、「金若山 こと 金元鳳」のことを書いていますので、参照してください。

新聞では、「朝鮮独立運動家:馬賊匪賊」は、「コミンテルン」の手先となって活動していたことが書いてあります(日本人共産主義者片山潜も)。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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「大韓民国臨時政府:独立軍(馬賊、匪賊)」が関東大震災で起こした「暴動」~「表現の自由展」

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

昨日9月1日は、96年前に「関東大震災」が起きた日です。

 

神戸大学新聞文庫 大阪朝日新聞 大正12年9月3日

阿鼻叫喚の帝都を縦横に馳駆して廻った本社

吉田特派員の視察記

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 >東京帝国大学付属病院は二日午前八時消失したが、その際五百名の患者は残らず悉く焼死した。 また吉原遊郭倒潰消失し、娼妓は四方に逃げ惑うたが、三分の一の六百名は焼死さいた(松本電話)

(中略)

■何の窮民か 兇器を携えて暴行 横浜八王子物騒との情報

【二日午後七時、金沢某所着電 長野よりの情報】

二日午後戒厳令発布と東京を追払われた約二百名の不逞漢、いろいろの兇器を携えて八王子市に入り込み不穏の形勢あり。 夕方に至り悪化して暴徒と化し、市民は附近の山中に避難し、警察署は官公吏、青年団武装を許し相対峙している。

列車は八王子に入るを得ず、右不逞漢は東京、横浜に連絡を有するものと伝えらると、横浜の罹災民避難地へ不逞漢多数暴れ込み、出兵を要求したと(串本電報)

横浜地方では、この機に乗ずる不逞鮮人に対する警戒頗る厳重を極むとの情報が来た

以下略

 

神戸大学新聞文庫 大阪朝日新聞 大正12年9月4日

惨状目も当てられぬ路傍の死傷者

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>惨状目も当てられぬ路傍の死傷者 東南部のみで十数万 一日から未だ一食も摂らぬ 船越本社特派員 長野三日発

〔第二報〕今の東京全市は焦熱地獄と化した、焼け出された死体は到る所の路傍にコロがって鬼哭啾々、住むに家無く、食うに物無く、悲惨を極めている。 本所、深川方面は東京瓦斯タンク爆発のため一層死傷者多く、目黒の火薬庫も爆発した。

両国、万世橋その他橋梁も悉く焼け落ちた。 これがため避難民は一層逃げ場を失った。

本所、深川方面の死者のみにても、数万と詿せられ浅草公園の池には、女子供の死体が一杯になり血の池と化している。 本所の元被服廠では避難民三千人が紅蓮の焔の包囲攻撃を受けたので、被害甚だしかったため、路傍に焼けたる死体が累々と積み重なって誰れとて片付けるものもなく、酸鼻の極である。

これ等の死傷者全部を合すると十数万の多きに上り、生ながらの火葬である。

(中略)

■各地でも警戒されたし 警保局から各所へ無電

 神戸に於ける某無線電信で、三日傍受したところによると、内務省警保局では朝鮮総督府、呉、佐世保鎮守府並びに舞鶴要港部司令官宛にて、目下東京市内に於ける大混乱に附け込み不逞鮮人の一派は随所に蜂起せんとするの模様あり。中には爆弾を持って市内を密行し、又、石油鑵を持ち運び、混乱に紛れて大建築物に放火せんとするの模様あり、東京市内に於いては極力警戒中であるが、各地に於いても厳戒せられたしとあった。

以下略

 

神戸大学新聞文庫 東京時事新報 大正12年10月22日

関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ

放火殺人暴行椋奪につぎ、橋梁破壊も企てた不逞團

(記事差止め 昨日解除)

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 >九月一日の震災後、東京始め関東一帯の人を騒がせた流言蜚語の為めに内鮮人にして殺害されるもの算無く。 是が流言の出所に就いては尚お〇明されてされて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果、昨二十日一先取調べを終わり、同時に記事差し止めを解除した。 

既に起訴されたもの十数件、此他治安警察法違反、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、椋奪、婦人に対する暴行、その他の事件につき、東京保小浜に於いて捜査中のものも亦少なくない

 

椋奪(略)、放火(略)、婦人に暴行(略)、三十名の一団 柳島の呉服屋で椋奪

(略)、椋奪(略)、放火爆弾(略)、少女を殺す(略)、棍棒(略)、拳銃(略)、狙撃(略)、中尉を包囲した三十人の不逞団(略)、抜刀(略)、流言(略)、暴行(略)、橋梁破壊(略)、飲料水へ毒 あべこべに飲まされて悶死(略)、爆弾(略)、殺人(略)、歩兵に抵抗(略)、いたずら(略)

以下略

 

   ⇑

「不逞鮮人」とは、「大韓民国臨時政府(独立軍:馬賊、匪賊)のことです!

 

すでに昨年に記事にしていますので、参考にしてくださいませ。

 吉野作造と小沢一郎と日本共産党と「大韓民国臨時政府」との接点は? - 姥桜

民団が仕掛ける反日工作 - 姥桜

朝鮮総連の醜いデマ - 姥桜

韓国の悪辣な捏造写真 - 姥桜

 悠仁さまを狙った猟奇的な刃物男逮捕 - 姥桜

 

関東大震災 朝鮮人虐殺の真相】工藤美代子

彼らの狙いは皇太子だった!

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>調査①「独立新聞」説―—六千四百十九人

 関東大震災時の「朝鮮人虐殺」を論ずる際に必ず使われる数字が、上海に亡命した大韓民国臨時政府が発行する機関誌「独立新聞」によって報じられたものである。

 

 上海には当時多くの朝鮮独立運動家が集結しており、三・一独立運動後の活動拠点として抗日政府を設立していた。 主要な指導者は李承晩、呂運享、金九などである。

 機関紙「独立新聞」の社長の名をとってこの報告書は「金承学調書」と呼ばれ、『現代史資料6/関東大震災朝鮮人』(みすず書房)はじめ多くの関係書に翻訳引用されてきた。まさに「虐殺人数の原典」といってもよい扱われ方をしている。

この「独立新聞」特派員報告をまず見ておこう。

(中略)

この調査報告の奇怪なことは、「屍体を発見できなかった同胞」数が実に二千八百八十九人に及んでいる点である。

「虐殺された」と主張する死体が発見されないままそれを虐殺としてカウントするのはしょせん道理が通らない。

おそらく最大好意的に解釈しても、氏名と住所が確認されたものの本人が見つからない、どうやら殺害されたに違いないと判断した、ということだろう。

 

 そうだとすれば、それは「行方不明者」としてカウントされるべきものである。不明だから殺された、という主張は非論理的である。 地震直後に移動したか、不幸にも焼死、圧死して焼却され無縁仏となった可能性が高い。

 

 次の「屍体を発見した」とされる約千二百七十四人だが、これも殺害されたのか、震災による死体なのか判断は極めて困難である。

 

 朝鮮人同胞間の情報交換から、調査員は焼却されたと判断したのだろうが、上海から京浜地区にすぐにやって来たとしても、死体が焼却された時点に間に合い独自に検視したとは考えにくい。

 

 死体処理にあたった東京市の作業を点検してみよう。概略はこうである。

先の章でも触れたが、火葬場の能力ははるかに超えていたので、被服廠はじめいくつかの広場、公園、河川敷などを臨時の火葬場とし、連日人夫を駆り集め、薪では不十分なため重油をもって各所で処理した。それがおおむね九月八日から十日くらいまでのことである。

 

 ところが、隅田川の死体はもとより、他の河川に浮き沈みする大量の死体の処理は陸軍工兵の手を借りて落下した橋や障害物を排除しなければ引き揚げられなかった。 すでに異臭を発している死体の引き揚げには九月九日から十五日までかかっている。(「東京市震災衛生救療誌」ほか)

 

 その後は、家屋の下敷きになって圧死したままになっている死体発見に取り組み、各警察署管内で千三百余人の遺体を掘り起こし収容、焼却した。

(中略)

最期の遺体処理が終わったのは十月中旬といわれている。

この警察発表に満足しない「愛国同志援護会」

は、どうやって自分たちでカウントできたのか不明なまま人数の増加をした。

(中略)

さて、聞き取り調査をした在日朝鮮人の組織は果たして死体をその目で確かめ、検視の結果も調査し、氏名、住所との照合ができたのであろうか。

 そうでなければ、どこそこで何人という詳細な統計が取れるはずがない。日本人の大多数でさえ、身元不明のまま河川敷や被服廠跡で焼却され、墨田川を腐乱したまま流され、鳶口で掻き揚げられたのだ。

 

 いずれにしても六千数百人という数字は東京、横浜における在日人数から推しても大きくかけ離れており、大矛盾を来しているがその問題は後に述べる。

以下略

  

さて、先日の「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展」の件から、事実無根の朝鮮人大虐殺」の小説を書いた人物(山田昭次)の名前が浮上してまいりました。

 「不自由展」に「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」が展示されていた! - 姥桜

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「強制動員真相究明ネットワーク」の呼びかけ人の中に、「山田昭次」がいます!

 強制動員真相究明ネットワーク - Wikipedia

 山田昭次 - Wikipedia

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100年経っても、日本の中に「独立軍(馬賊、匪賊)」の手先が蠢いていたんですね!

 

そ・し・て…100年経っても、韓国人たちは「反日」の為に「嘘の歴史」を作り出しているんですね。

100年経っても、「韓国」は「馬賊、匪賊」的根性から抜け出せないのですね!

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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