中国共産党の「中国残留孤児工作」

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産経新聞令和3(2021)年10月2日

花田紀凱の週刊誌ウオッチング】

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>前略

 コロナ禍の日本でアルコール入りハンドジェル、PCR検査キットなどを大々的に販売、マスク不足の折には東京、名古屋などで「マスク寄付活動」を展開していた「東亜産業」。

 社長の渡邊龍志なる人物が「中国残留孤児2世」になりすまして日本へ密入国。空き巣、公正証書原本不実記載同行使、薬事法違反などで逮捕歴3回という奇っ怪な事件。

 

 週刊誌としては絶好のネタではないか。繰り返すが、なぜトップにしないのか。『週刊朝日』(10・8)で小沢一郎氏が「この衆院選自民党を打倒する」。

正気か。

(月刊『Hanada』編集長)

      

早速、このネタ記事を探しました。

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デイリー新潮2021.9.30

「マスク寄付」「PCR検査キット」でぼろ儲けの「東亜産業」 会社トップはインチキ中国残留孤児2世(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

>アルコール入りハンドジュエルなど衛生用品の販売で急成長を遂げた「東亜産業」は、マスク不足の折に名古屋や東京、福岡などで「マスク寄付活動」を展開。一昨年は57億円だった売上高が昨年は300億円に急増した。この、コロナ特需で大儲けした会社のトップである渡邊龍志社長には、思いもよらぬ経歴があった。

(中略)

 東亜産業は渡邊社長が名古屋で興した会社。その設立から1年半後の98年1月。愛知県警外事課が、一人の中国人男性を公正証書原本不実記載同行使の疑いで逮捕した。

 

 捕まったのは吉林省出身の劉凱鵬(りゅうがいほう)容疑者。逮捕6年前の92年、就学ビザで入国して日本語学校に入り、その年末、窃盗目的の住居侵入で捕まった。

劉容疑者は入管から退去命令を言い渡され、入管難民法に基づく「上陸拒否者」の対象となる。

 

 中国へ戻った劉容疑者は、父親の力も借りて中国残留孤児の女性の子どもに成りすまし、94年、女性とともに再入国を果たす。翌95年、中国残留孤児2世として、愛知県豊橋市役所で外国人登録。これが公正証書原本不実記載行使に問われたのだ。

 

 このインチキ中国残留孤児2世こそ、渡邊社長その人である。実刑は免れたものの、再び強制退去の身となったと見られる。だが日本人女性と結婚したからか、わずか5年の「入国拒否機関」を経て、2003年9月に再々入国。そして別の事件を起こし、逮捕されることとなる。

以下略

 

中国人は日本ではやりたい放題ですね。

参考記事:中国人に巣喰われる日本列島 - 姥桜

 

「どうして、日本に中国人が多く住んでいるんだろう?」と皆さんは考えたことはありませんか?

昔はある程度の富裕層でしか日本に入国出来ませんでした。

でも、不思議なことに教養も財産もない荒くれた中国人が永住して、犯罪まがいのやりたい放題。

 

そういえば、大阪で「在日中国人の集団不正生活保護受給」問題がありましたね。

中国は政官民揃って、特殊詐欺のプロですね。

大阪の中国人不正生活保護受給 「職業は生活保護」で審査通過|NEWSポストセブン

 

当時、「中国残留孤児」になりすました者や、またその家族親戚までもが集団で次々と日本に入ってきたのです。その数は…あまりにも多くて…またその一族から子供が出来て…

もう、日本は不逞中国人の巣窟状態になっています。

 

それも、中国共産党の「工作活動」の一環だったということをご存じでしょうか?

    ⇓

【中国対日工作の実態】

福田博行著

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>■中国残留孤児工作

 田中角栄の訪中によって第一期の諜報工作を果たした中国が、第二期の初期において全力をあげた「対日工作」は“中国への好感・親近感を日本人民に徹底して植えつける”ことであった。

 

 工作指令書には次のように記されている。

「全日本人に中国への好感・親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感・親近感を抱かせる目的は、我が党(中国共産党)、わが国への警戒心を、無意識のうちに棄て去らせることにある」と。

 

 この対日世論工作の為に実行したのが、戦後、中国大陸に残された「日本人孤児の帰国運動」だった。

 国交回復後の1980年代、日本のテレビには連日にわたって、訪日調査の孤児メンバーが、離散した家族に向けて「会いたい」と呼びかけ、何十年ぶりに肉親が名乗り出て、抱き合って涙を流して再会を喜ぶ姿が映し出された。

 

 この連日放送される映像によって、中国諜報機関の狙い通り、日本国民は中国及び中国共産党に対する警戒心をなくし、「中国—残留孤児の再会」というセンチメンタルなイメージを植えつけられてしまったのだ。こうして、中国諜報機関は群集掌握の初期工作に於いてまんまと大成功を収め、次第にマスコミを始め政官界への工作を強化していった。

 

 このように、短期的に見れば一現象にすぎないことが、長期的に見れば、極めて計画的に、綿密に計算されて実行されていることがわかる。これが中国共産党の行う諜報工作最大の特徴だ。しかも中国は、この群集掌握の為に実行した「残留孤児の帰国運動」で、二重、三重の成果を上げている。

 

 その一つは、合法的に日本へスパイを送り込んだことだ。

80年代以降、日本へ帰国した残留孤児及び関係者は合計2万人に達しているが、本当の残留孤児の中には、中国の文化大革命という内乱の中で“日本人である”というだけで虐殺された孤児達もいる。その孤児達の詳細なデーターは全て、中国公安部から諜報工作部隊へと引き継がれている。

 

 13億人もいる中国社会では、「替え玉」はいくらでもつくられるという訳だ。

 事実、80年代に訪日調査で来た孤児を、自分の子供ではないと薄々感じていても、自分の存命中に区切りをつけたいという思いや、子供と同じ運命にあった孤児だからという想いによって、日本人でありさえすれば認めてしまうという現実は、多く散見されている。

 こうして、中国の諜報機関はちゃっかりと、機関の「耳」となるスパイも合法的に送り込んだのだった。

 

 その二つ目は、調査の為に来日した残留孤児に、中国への帰国に際して手渡される、日本政府からの「見舞金」が、中国への帰国と同時に中国共産党に全て没収されてしまい、中国貨幣(中国の相場額に変更)で再交付されたという実態だ。当時の中国にとって外貨は貴重な存在で、日本に於ける「親中世論戦醸成」工作を進める中で、ちゃっかりと外貨獲得の仕事をして稼いでいたという訳だ。

 

 戦後処理という美名の下に「悲劇の再会」を演出し、日本人がセンチメンタルに陥っている間隙を縫って、中国は着々と、しかも静かに、対日群集掌握の心理戦という諜報工作を展開していたことを見逃してはならない。

 

 

 

中国とかかわるとロクなことがありませんね。

 

 

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