共産主義が残忍なのは、サタン宗教が基本にあるから。

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

GHQ知られざる諜報戦』C.A.ウィロビー著

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 数十万におよぶ不幸な旧日本軍兵士、および被抑留者たちの消息を確かめ、彼らがどのようになったのかを突きとめるため、マッカーサーの情報部、すなわち私のG2は万全の努力を重ねた。

 私はソ連から引き揚げてきた戦争捕虜を訊問して情報を得ようとした。その結果、捕虜収容所の許しがたい環境のため、数千名もの将兵が死亡したことが判明した。まったくの奴隷と化していた日本人たちは、信じられないくらいの辛苦をなめさせられていたのである。

 

 ついに故国の土を踏んだ生き残りの引き揚げ者たちが、決してウソは言わぬと誓い、涙ながらに語った証言によれば、百ヵ所以上のソ連収容所にいた二十万九千三百名の捕虜のうち、五万一千三百三十二名が栄養失調や伝染病が原因で死亡したという。

 その死亡率は二四・五パーセントに達する。さらにある地域では死亡率は六〇パーセントにも達していた。

 地方病院の一つで、墓掘りとして働かされていたある引き揚げ者の、次のような報告は典型的なものであろう。

 

「飢えと疾病のためあまりにも多くの人が死んだので、五十名からなる屍体処理班は、死者を焼く仕事を遅滞なく果たすことができなかったほどです。軍医の話だと、一九四五年から一九四七年にかけての死亡者の数は、その地域では三〇パーセントの高率に達したそうです」

 この証言者は、そう語ると、しばし絶句してしまった。

 

 ある地方で報告された高い死亡率は、すべての収容所に等しくあてはまるものである。これらの人々は、帝政ロシア時代よりもはるかに苛酷な奴隷的労働条件の下でこき使われた結果、死んでいったのである。

 

 ソ連の残虐行為の一つ一つが、わがG2の調査の結果明らかにされ、ワシントンに報告された。

 これらのすべての顛末は、のちに『シベリア戦争捕虜収容所における生と死』というタイトルをつけられ、目撃証言による報告書として国連に提出された。

 報告の一つ一つは、どれも身の毛がよだつものである。

 

 ところが国連はこの報告書を無視してしまった。しかし、マッカーサー元帥は東京でのソ連大使との「冷戦」で、これを有効に活用することができた。デレビヤンコ将軍が「日本の労働者階級や個々人の権利の保護者」であるかのごときポーズを取ろうとするや、いつでもシーボルト大使は、ロシア人の牙にかかって大量殺戮された日本人捕虜の件を持ち出したのである。

 すると警察の野蛮行為とか、米軍の行き過ぎとか、労働運動に対する抑圧とかを並べ立てては口角泡を飛ばしていたデレビヤンコ将軍は急に黙りこくってしまい、彼の毒舌もただちに止んだものだった。

以下略

 

上記の文中で赤字にした部分ですが、ソ連の将校の言い訳が、日本共産党と全く同じ論調なので強調させていただきました。

基本的に共産主義者は平気で嘘と言い訳で生き延びてきたカルト集団ですので、彼らに人類が望む「平和、平等、人権」を説いたところで理解出来ないと思います。

「国連」もしかりですが…

 

ロシア革命「歴史的意義」=共産・志位氏』時事通信

2017.11.9

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 共産党志位和夫委員長は9日の記者会見で、1917年のロシア革命から100年を迎えたことについて、「スターリン以降、専制主義、覇権主義という形で革命の成果は損なわれて崩壊したが、世界史に非情な大きな持続的影響を与え続けている歴史的意義を持つ革命だった」と評価した。

 

 志位氏は、革命によるソビエト政権の樹立に関し、「民族自決権の旗を初めて無条件に掲げて実行した。暮らしと経済という点では、社会権という問題を初めて掲げた。社会保障という言葉が初めて出てきたものもここからだ」と指摘した。

 

日本共産党ロシア革命ソビエト社会主義を称賛してますが、ロシア革命フランス革命よりも更に残忍でおぞましい革命であったことを、どうやら知らないようです。

『血の上の救世主教会 Wikipedia

さらに、世界の共産主義国にまともな「社会保障」なんてありません。

あるのは、「独裁・抑圧・殺戮(計画的餓死含む)」です。

 

そして、スターリンだけが間違っていたかのような言い方ですが、そのスターリンを妄信していたのは、日本共産党自身です。

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何十万という日本人、日本兵が虐殺された事実が明らかになった以降も、日本共産党スターリンを「平和と解放のみちびきの星」「スターリンはわれらの胸に」などと礼賛していたのです。

日本共産党にとって共産主義によって1億人以上の人々が粛清されようが、同胞の日本人が何十万、何百万人殺されようが「共産主義革命」、「ソ連社会主義を守る」という目的の方が大切なことなのでしょう。

 

日本共産党の経典「マルクス・レーニン主義共産主義)」の真の姿

大紀元日本 カール・マルクス、悪魔への道(上)』より

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  サタン教の儀式に参加し、サタン教徒に

 マルクスが18歳の頃に、大学で一度霊的な現象に出会い、それから敬虔なサタン教徒になったという。今残された資料から、彼がサタン教徒の儀式に参加したときに、サタンが何かの形で現れ、それを見たマルクスが「自分はサタンの代弁者だ」と信じるようになったのだと推測できる。

 

 そのころに彼が書いた戯曲『オーラネム』には、サタニスト教会で行われる黒ミサの儀式が描かれていた。『オーラネム』というタイトル自体はキリストの聖なる名の逆さづりであり、黒魔術ではそのような倒置に魔力があるとされる。

 

 『オーラネム』の「演奏者」と言う詩のなかで、マルクスは自分のことを次のように書いた。

 

 地獄の気が舞い上がって、やがて私の脳を充満した

 私は気が狂い、心が完全に変わった

 この剣を見たか?

 闇の大王がそれを私に売った

 私のために、彼は拍子を取り、合図をする

 私の死の舞もますます大胆になる

 

 ここでも、マルクスは悪魔サタンと何かの契約を交わしたことがわかる。

(中略)

 人類の滅亡を目指すサタンの代弁者

 ここでまた戯曲『オーラネム』の台詞を引用する。

 

 若き我が腕に力が満ち溢れる

 凶暴な勢いで

 君たち人類を掴んで、そして壊す

 暗闇の中、底なし地獄は我々に口を開いた

 あなたが落ちて、私は笑ってついて行く

 そしてあなたの耳元で、「下で会おう」と囁く

 

 聖書啓示録では底なし地獄について「悪魔そして堕落した天使に用意されたもの」と書かれているが、マルクスは全人類をこの地獄に落とそうとしていた。

 オーラネムの死について、マルクスは次のように書いた。「滅亡、滅亡。私の時間が訪れた。時計が止まり、建物も崩れる。私は永久に手に入れ、生命の叫びとともに、全人類に呪いをかける」

 

 才能に溢れた18歳のマルクスは『オーラネム』で自分に決めた人生計画を明確なものにした。人類・無産階級・社会主義などに捧げるのではなく、この世界を壊すこと、社会に動乱・苦痛をもたらすことで、自らの王座を築こうとしていた。

 

 マルクスは詩人ゲーテの『ファウスト』の中の悪魔メフィストフェレスの台詞「すべての存在が壊されるべきだ」を好んでいたという。マルクスにとって、ここの「すべて」には、無産階級、共産主義のために戦う人々も含まれるが、後のスターリンは自分の家族さえも、この「すべて」として壊した。

赤字の部分ですが、ソ連、中国、北朝鮮共産主義の同志が次々と処刑されていきました。そして、彼ら独裁者の家族(妻や子供、兄弟さえも)も見殺しにされ、処刑の対象とされていったのです。

 

大紀元日本 カール・マルクス、悪魔への道(下)』より

  資料館で偶然発見されたこの手紙によると、マルクスがロンドンで亡命していた時期に、革命の同志を密告していた。ともにロンドン、パリ、スイスなどで亡命していた同士に関する密告は1つにつき、マルクスは25クローネの賞金を手にしていた。密告された中にはルージュ(Ruge)という革命家もいたが、彼は自分がマルクスの親友だと思い込み、2人の間で往復された情熱溢れる手紙は今も保存されている。

 

 また、マルクスは家族を養うことなど脳裏になかった。数カ国の言葉を自由に操れるマルクスは、生活が不自由のはずはなかったが、彼はエンゲルスからの援助で生計を立てていた。

(中略)

 マルクスは家計の遺産に対する執念も深かった。病気の辛さを耐え忍んでいる叔父に対してマルクスは、「あの犬が死んでしまえば、(財産の引継ぎの)妨げもなくなる」と書いていた。

 

 彼は母親に対しても容赦がなかった。1863年12月に、マルクスは母親の死について、エンゲルスにこう書いた。「2時間前に電報が届いた。母が死んだらしい。家族が亡くなる運命で、私もいつか死ぬだろう。多くのとき、私に必要なのは1人の老人ではなく、その財産だ。それをもらいに、トリーアに発つ」

 

 マルクスは無産階級を「愚かなガキ、ごろつきども、ロバ(間抜け)」と表現していた。彼は結局一生涯、誰も愛さず、誰も信じることはなかった。

※赤字の部分ですが、ソ連、中国、北朝鮮も密告制度がありました。

そして、ソ連に渡った日本共産党員も同志(野坂参三)の密告で処刑されています。

『大粛清 Wikipedia』

 こういった歴史的事実も、日本共産党は無視し、嘘をつき通しています。

共産主義は宗教を禁止していますが、共産主義自体がサタン教ですので、他の宗教を禁止するのは極めて自然なことと言えます。

ところで素朴な疑問なのですが、日本共産党の党員は家族が亡くなったら、お葬式を挙げないのでしょうか?

お経はあげないですよね? 

まさか、頭にろうそくを巻いたりしないですよね?

 

 つづく

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敵を間違えた米国:平和の敵は日本ではなく「共産主義者」だった。

 

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 アメリカは日本の弱体化、細分化を謀るために、日本に占領憲法を押しつけてきたわけですが、敗戦日本に駐留して、ソ連による日本兵シベリア抑留、日本共産党による騒擾事件の多発、戦前の特高の資料(ゾルゲ事件)、朝鮮戦争勃発から、日米の戦争はソ連共産主義者が仕掛けた罠だったということに気が付きます(因みに、日本では今でも“共産主義者は善で、特高が悪”ということになっていますが)。

 

 共産主義者は「ソ連社会主義を守る」ことを使命としていますので、日本が旧ソ連、中国、北朝鮮を攻撃できないように「憲法9条」を改正したくないのです。

『反戦 平和」の真っ赤な嘘』

 

日本共産党中国共産党の首脳会談での不破議長の発言(大要)』2002年

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要するに、共産主義の繁栄こそが平和を守るといいたいんですね。

日本が憲法9条改正すると、中国や北朝鮮に反撃に出ると恐れているようです。

因みに、日本は戦争で中国を侵略などしたことはございません。

清朝の継続国家、満州族の「満州国」は、帝政ロシア旧ソ連)が侵略してきたために、日本が保護国として建てた国です。そもそも、当時、中国なる国は存在していませんでした。満州国を侵略したのはソ連中国共産党です。

 

 

先ずは、田中角栄の回顧録から紹介します。

早坂茂三の「田中角栄」回想録』早坂茂三

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共産党をつかまえろ」

 ところが、アメリカは、日本の弱体化、非軍事化を進めているうちに“平和の敵”は別にいることがわかったんだな、恐るべきは日本じゃない、と。

北方の白熊だよ、アメリカが顔を突き合わせた“平和の敵”は。

ソ連を主軸としたワルシャワ条約機構共産主義国家郡だ。

 「ベルリンの壁」という大事件が起こり、朝鮮戦争が発生した。そこでアメリカは、北方の熊に対抗するために、日本や西ドイツに対するそれまでの“生かさず殺さず”政策をやめて、両国を再軍備させ、西側陣営の連帯強化を図ろうと、政策の大転換に出たわけだ。

 その政策大転換とは、具体的にいうと、有名なジョージ・ケナンによるアメリカ外交方針の転換であり、マーシャル・プランの発表であり、ドレーパー勧告による日本への賠償放棄宣言である。

 

 そういった情勢激変のなかで、素早く反応したのは、またしても西ドイツだよ。憲法、すなわちドイツ国基本法をサッと改正した。

ところが日本、こちらは「再軍備させます」といっても憲法改正が必要で、それがおいそれとはできない。日本国憲法は衆参両院において三分の二以上の多数の発議がなければ改正を提案できない、と定めているんだからね。

 

 アメリカは東西対立が激しくなると、すぐ日本に、憲法改正をはっきりと要求したんだ。直ちにやってくれ、と。しかし、国内はそう簡単に憲法改正できる情勢じゃない。そこでアメリカは、しょうがなくて、憲法改正の代案として「共産党をつかまえろ」といったわけだ。 以下略

 

実は、ソ連共産主義の恐ろしさを戦前の日本は見抜いていたんです。

神戸大学電子図書館 大阪朝日新聞1920.1.22―1920.1.31

『共産治下の露国(一~九)レニンの政治振り』

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一九一七年十月二十五日のクーデター以来、二月革命並に帝政時代の凡ゆる立法、行政及び司法制度を破壊した、個人自由に対する保障の如きは全然破壊され、革命の齎した進歩的民主的改善は消滅し去って、過激派官僚の専制と代わった、国法は地を仏い過激派の官吏は唯気分の向く儘に、凡うる勝手な真似をして居る。

(中略)

幾万の男女が何等の判決なく単に行政命令によって銃刑に処せられた事は、過激派と誰も之を否認する訳に行かぬ、此れ丈でも彼の沸国革命の恐怖時代と比較にならぬのである…以下略

 

GHQ 知られざる 諜報戦』C・A・ウィロビー著

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  冷戦はすでに大戦中に開始されていたが、戦後、極東において、とりわけソ連からの旧日本軍兵士の復員作業である。すでに記したように、マッカーサーは「歴史上、戦時平時を通じ、米国でもその他の国でも、これほど敏速かつ円滑に復員が行われた例を私は知らない」と報告したが、残念ながらソ連からの復員だけは例外であった。

 

 終戦時には六百万人以上の日本軍兵士が太平洋上の島々やアジア大陸に散らばっていた。それは純粋な人道主義的理由からも、また解放された国々の経済的負担を軽くするためにも、彼ら日本兵のすみやかな帰国は望ましいものとされた。

 そして一九四六年までに、大部分の者が健康な状態で帰国した。その数は、ピーク時には一週間で二万名にも達するほどであった。

 

 ところが、ソ連からの旧日本兵の引き揚げはきわめて緩慢かつ遅鈍に行われ、じつに七年余にわたった。それは米軍側の迅速な復員作業と、好対照をなしているといわざるをえない。

 

 ソ連占領下の中国東北部(旧満州)からの引き揚げの配船は、マッカーサーがこれを保証しなければならなかった。彼は一ヵ月で三十万名を引き揚げさせるべく提案したが、ソ連はこの数字を約五万名に下げてしまった。

 ソ連には彼らなりのいろいろなプラン―裏での計算があったのである。これらのプランの第一は、日本兵捕虜を奴隷的労働力にすることだった。第二の目的は、日本兵捕虜を「洗脳」して完全な共産主義者に仕立て上げることだった。

 

 当時、ドイツのニュンベルクと東京では、日独両国の戦争犯罪人に対して連合軍による戦犯裁判が行われていた。そこでは日独両国による残虐な行為が裁かれていたが、ソ連に連行された満州地区の旧日本兵も、それら戦犯裁判の主要犯罪に匹敵する虐待と乱暴を受けているとして、全世界から非難を浴びせられることになった。

 

 ところがソ連は、日本兵捕虜に関する情報の提供を拒否してきた。そこで問題は東京にある連合国の対日理事会に移された。おかげで対日理事会のソ連代表クズマ・デレビヤンコ将軍と、アメリカ代表の絶えざる論争の一つになっていったのである。

 

読売新聞 1992年6月3日

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※写真がぼやけていて申し訳ございません。

 因みに私は幼い頃、近所にシベリア抑留から帰還した方がいて、親からその方の話を聞いていましたし、「ゾルゲ事件」のことも聞いていました。なので、他の大人もみんな知っているのかと思っていたのですが、実は現在の高齢者でも知らない方が多いことに気付き驚いている次第です。

 

考えてみれば、その後の日本は全学連全共闘などと…共産主義思想に被れた学生が日本中を震撼させた事件が勃発していましたね。

日本って…どうして阿Qが多いんでしょうか? 特に団塊世代から上の世代は…。

 

ソ連強制収容所で、日本共産党の素晴らしさ?を勉強する日本兵捕虜

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現在でも公安監視対象の日本共産党が各自治体、国会の議員になれているのが不思議でなりません。

 

   つづく

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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「憲法の日」に寄せて③

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

 すでに「(占領)憲法の制定の日」は過ぎていますが、田中角栄元首相の言葉が現代を生きる私たちにとって、一語一句が宝の言葉のように思い、「中略」を入れることなくお伝えしたいと思い、長い文章になっております。どうぞお許しくださいませ。

 

早坂茂三の「田中角栄」回想録】早坂茂三

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日本の非戦力化、弱体化、細分化

 中曽根総理は「戦後の見直し」ということをいっている。それは、どういうことか。

戦後というと今の若い人たちは、国が立ち直って高度成長期に入ってからのことを思い浮かべるだろうが、それより前に重要な「戦後」があるんだ。これを忘れちゃいかん。

そういう戦後を中曽根君と同じにすべて生きてきた政治家として、わたしの考えをしゃべっておく。

 

 わが国の長い歴史のあいだに、三つの大きな改革があった。大化の改新明治維新マッカーサー改革。この三つだ。

 

 大化の改新明治維新は、日本人による日本人のための改革の断行であって、それなりの合理性を持ち、近代性を持っていた。これによって、それぞれの当時の日本は大きく発展したんだ。

 ところがマッカーサー改革というのは、日本が第二次大戦に敗れて、アメリカを主力とした占領軍の支配下にあった時代のことだ。これは占領軍がわが国に対する占領目的達成するために、わが国の制度の変革を求めたものであってね。

そこにつくられたものは、日本人が日本人のためにつくった制度じゃなかった。この点が、前二者とマッカーサー改革が決定的に違うところだ。まったく違うもんだよ、これは。

 

 占領軍政策は敗戦の日から昭和二十七年四月、わが国が名実ともに独立を回復する日まで続けられたわけだけれども、その政策に流れていたのは、宗主国が自分の支配した国や領土に求めたものと同じ思想なんだ。

 占領政策の目的として、日本の自由化、民主化というきれいごとを並べているが、真の目的や基本政策というのは、わが国の徹底的な武装解除であり、非軍事化であり、弱体化、細分化であった。そうであったことはね、占領軍の総司令官であったマッカーサー元帥のいわゆる『マッカーサー・メモ』に明らかだ。

 

 要するにアメリカ占領軍は、日本が再び立ち上がって戦争を仕掛けることができないようにするために、戦前の諸制度や諸法規は何でもかんでも改めてしまおうと、そういう考えに立っていたんだ。連合軍、とくにアメリカはこう考えたんだろう。

第三次世界大戦が起こるとすれば、その火付け役になるのはやはり日本とドイツとイタリアであろう。この枢軸三国はこれからまた何をしでかすかわからない」とね。

 そこで枢軸三国の国家体制を徹底的に打破し、細分化して、戦争のタネを根こそぎ取り除いておく必要、というわけなんだな。

 

 ただし、連合国は第一次大戦の後、ドイツに天文学的な賠償金を賦課し、いじめて、それが逆にヒトラーから報復されるきっかけとなった苦い経験を持っている。

そこで今度は、戦いに勝っても勝者としての権利は放棄し、敗戦国をぎりぎりの土壇場まで追い詰めることはしないようにした。

賠償金を免除するわけじゃないけれども、敗戦国が自主経済を達成するまで待つという方針を取ったんだ。

その代わり、民主化、自由化の名において、敗戦国の非戦力化政策を入念に実施した。これは実にこうかつなやり方だよ。

 

 もちろん、わたしは、占領軍の政策が日本にとってすべてマイナスだったといいたいわけじゃない。主権在民への転換、農地解放、婦人参政権、労働基本権の確立……こういうものなんかは、よかったことの例だ。

こういった措置がね、戦後の日本を再建して、今日の繁栄を築き上げた日本のエネルギーを全面的に解き放ったんだから。それは確かだ。

 

 にもかかわらず、占領軍の目標が、この措置によって日本の弱体化を図るという点にあったことは、これまた間違いない。

占領軍は婦人に参政権を与え、戦前は三十歳でなければ立候補できなかったものを二十五歳に引き下げ、投票権も二十歳で行使できるようにした。おかげで田中角栄は、二十八歳で代議士になれたわけだ。

 なぜ占領軍はそんなようにしたかというと、たとえば婦人、かつての日本では一家の主人が「右向け、右」といったら、みんな右を向くから戦争になるんだ。でも婦人というものは本能的に戦争が嫌いだから……今は違うけどね、婦人のほうが争いが好きな面もあるけど、とにかく婦人に参政権を与えれば簡単に戦争賛成というまいと、占領軍はそう考えたわけなんだな。

 若い者も投票権を持てば、オヤジの命令に全部が全部、従うとは限らんだろうと。

それが日本の民主化、非戦力化につながると、占領軍は考えたわけだ。

 

 わたしは自民党の諸君にいったことがある。日本も戦争に敗けていい国になった。昔はね、働けど働けどわが暮らし楽にならざり、という国であり、『女工哀史』が語られる国であったと。それが何もかも吹っ飛んじまって、日本は居ながらにして自由主義、民主主義の国になった。

勤労者の諸君は労働三法をもらって“わが世の春”を謳い、天皇陛下を「彼」と呼び捨てにしている。人の悪口もいいたい放題だ。戦前は第一次産業第二次産業第三次産業しかなかったのに、マッカーサー第四次産業までつくってくれた。

アゴばかり達者で、人の悪口をいってればメシが食える産業ができたんだ。これ笑いごとじゃないんだよ。これも占領軍がわが国に押しつけた現行憲法によってつくられた社会制度である。とね。そういうことなんだ。

 

つづく

こうして、占領軍によって作られた日本国憲法(日本の非戦力化、弱体化、細分化)ですが、現在は中国、韓国、北朝鮮が「憲法9条を守れ」と内政干渉をしてきているんですね。これら3国は「抗日戦争をして日本軍を追い出した」と豪語していますが、実はこの3国は一度も日本軍と交戦したことはございません。

この3国は、「抗日戦争で侵略国家・日本から自国を守った」という嘘の歴史を正当化するために、自国民に反日を煽っているんです。

3国は反日をやめたら政権を維持できない宿命にあるのです。

※韓国は『大韓民国臨時政府』の継承国家という位置づけですが、初期の臨時政府は朝鮮共産党創始者・李東輝がいて、ソ連から援助資金を受け取っていました。

金九の時代になっても、中国共産党コミンテルン中国支部)から資金を援助してもらっていました。 なので、歴史をたどれば韓国も共産主義政権でもあるのです。

 

それでは、日本共産党や左翼系野党はなぜ護憲なのか?ということですが、彼らの心の故郷は、中国、韓国、北朝鮮と同じで「コミンテルン」なんです。

ですから、左翼政党の議員は日本国、日本国民のために政治をしているわけではないのです。

 

『22年テーゼ』Wikipediaより

 22年テーゼは1922年にコミンテルンで示された『日本共産党綱領草案』の通称。

1919年に創設されたコミンテルンは、1922年1月にモスクワで極東民族大会を開催した。この大会には日本代表として徳田球一らが参加し、スターリンから共産党組織を結成するよう指示を受けた。

 

 徳田の帰国後、山川均、堺利彦野坂参三、佐野学らによる代表者会議が行われ、コミンテルンの方針を承認し、日本共産党が結成された。1922年11月の第4回コミンテルン大会で、日本共産党コミンテルン日本支部と認められ、コミンテルンの理論家ブハーリンが起草した「日本共産党綱領草案」(22年テーゼ)が示された。

 

内容は君主制の廃止、軍隊の廃止、労働者の武装権、朝鮮・中国からの撤退、土地公有化などであった。以下略

…とはいえ、

コミンテルン宗主国である旧ソ連(現ロシア)も、中国、北朝鮮、韓国も軍隊を持っているわけなんですが…。しかも、旧ソ連(現ロシア)や、中国、韓国は他国の領土を武力で侵略していますよね。共産主義って、本当に歪んでいますよね。

北方領土竹島も日本が武装解除した時に侵略された事実を、日本の左翼政党はどう考えているのでしょうか?

 

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「憲法の日」に寄せて②

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

カレンダーには「憲法記念日」となっていますが、アメリカが日本の弱体化、解体するために過酷な縛りをつけた「占領憲法」が制定された日を「記念日」とは言いたくありません。自分たちを苦しめる憲法を押しつけられて「記念」とする自虐的な世論に迎合したくありません。

 

また、左翼の人たちは「平和憲法」と呼んでいますが、自分たちの手足を縛られ、鞭を打たれる憲法に「平和」などと呼ぶ神経が理解できません。左翼はマゾ体質なのでしょうか?

「戦争ができる国になる」などと反対していますが、「日本国民の平和と安全を守る」という自衛に対しては何も語りません。

 

昨今の左翼勢力は、改憲を阻止するために「モリカケ」問題で、改憲阻止を謀っているようですが、彼らも言論人、国会議員ならば正面きって議論をすべきです。

ただ反対というだけの駄々コネは、幼児と同じですね。

 

さて、「憲法の日」に寄せて①の続きに入りたいと思います。

 

早坂茂三田中角栄 回想録】早坂茂三

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 憲法制定、西ドイツと日本の差

 しかし、そうはいってもね、いつまでも占領軍時代の法律、制度を引きずっていく必要はない。だから、現憲法についてもこの辺で本格的な検討を加えるべき時期にきていることも、また、確かだと思う。

 

 ただ、日本はここまできたんだから、憲法改正に関してことを急ぐ必要はない。憲法は国の最高法規だ。慎重に扱って扱いすぎることはない。それを国じゅうに混乱を起こさずにやるには、何が必要か。まず、わが国と各国の憲法をよく比較し、勉強することから始めればいい。それなら自民党だけでなく、中道政党や社会党も一緒にテーブルに着くことができるだろうね。

 

 いずれにしてもね、憲法はどこの国のものでもなく、日本の憲法であるということだ。その成立に関しては、少しの疑義もあってはならんわけだ。

国家に自由がないとき、主権の存在せざるときに憲法がつくれるものか。どうかね?そんなことは明白じゃないか。

 主権の拘束する力の存在するときにつくられた憲法は無効である、と。これがわたしが代議士になったころから先輩に教えられてきたことだ。

 

その点で西ドイツはね、「第三国に占領されている間は憲法はつくることはできない。つくっても無効だ」と主張した。日本は初めて戦争に負けて勝手がわからかったけれども、ドイツは長いあいだ、敗けたり勝ったりを繰り返して、他国に憲法をつくらせたり、つくられたりした経験を持っていた。

 だから、占領国から渡されたものに憲法の名はつけないで『ドイツ国基本法』としたわけだ。 しかも末尾に「この基本法は占領が終わる日にその効力を失う」と明記したんだよ。そして占領が終わると、直ちに新憲法をつくった。さすが経験者だ。

 

 ところが日本はというと、初めて敗戦を味わった者の悲しさというか、アメリカから手渡された草案に日本国憲法と名づけ、ごていねいにも、この憲法を改正する場合は衆参両院で三分の二以上の発議で行う。

 しかもその可否は直接、国民投票に求めなければならないと、がんじがらめにした。

経験者と、そうでない者とのあいだには、これだけの違いがあるんだ。

 

 今にして思えばだね、占領が集結して日本が独立を回復したときに、いまの憲法が是か非かを国民投票に付すべきであった。

 とにかく、現憲法について何かモヤモヤしていたり、国民の半数近くが憲法の成立過程に疑義を持っていたりするのはいけない。

 やっぱり時代の変遷に応じて変えなくてはいけないんだ。

そしてね、自分の子供たちや孫たち、次代の国民が将来、長きにわたって国の基本法、最高法規として守っていけるものをつくるべきなんだ。

 

 現行憲法がどのようにしてつくられたか、今日では国民のほとんどが知っている。だから、その気になれば誰だって憲法について逐条的に議論ができるんだ。

 憲法論議を巻き起こすこと自体が日本を再び戦争に巻き込むことにつながるという批判があるけれども、わたしが今いったようなことからすれば、羹(あつもの)に凝りて膾(なます)を吹くの類でね。 ナンセンスじゃないの。

 国にとっても、大事なものほどタブー視してはならんのだ。憲法のような大事なものは国民すべてがいつでも議論できるよう、いつもちゃんとテーブルに置いておくべきなんだ。

 わたしは代議士になりたての若いころから、そういい続けてきたわけだよ。

 

 もっとも、まだ機が熟していないと思う。問題の第九条についていえば、アメリカが考えていた憲法九条というのは、わが国の潜在戦力さえも否定しようとするものであった、ということなんだな。

 当時のわが国のすべての重化学工業をフィリピンに賠償として提供させ、日本を非工業国にしようという考えがアメリカにあった。それと同じ狙いというべきだろうな。

 

 今の憲法のなかで、いいものはもちろん、たくさんある。そりゃああるよ。

しかし、わたしはね、現憲法はこのままではいけないと思っているんだ。

わたしが前に、こういう趣旨の発言をしたら、マスコミはわたしの片言隻句をとらえて「田中角栄改憲論者になった」と騒いだ。バカなことをいってはいけない。

わたしが代議士になってから今日に至るまで、現行憲法についてどんな発言をしてきたか、それを十分調べてから書けというんだ。

 昭和二十一年に初めて衆議院総選挙に立候補したときの選挙公報や国会答弁を含めた、これまでの憲法改正に関するわたしの発言、そういったものの記録をマスコミは改めて読み返すことだ。論評を加えるなら、それからだよ。

 

つづく

 

日本を再び戦争に巻き込む」…左翼の人たちはこの頃からオウムのように言い続けていたんですね(苦笑)。

そして、議論を避けてきた…

左翼政党は本当に進歩がありませんね(呆)。

 

また、左傾マスコミもこの時代から人の言葉を端折って論じ、自分たちの論調以外の論は抹殺しようとしてきたんですね(怒)。

 

最後までお読みくださいまして有難うございます。

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「憲法の日」に寄せて ①

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

今日5月3日は「(占領)憲法の日」ですね。

いつの間にか日本共産党や左翼の方々、マスメディアが「平和憲法」と呼ぶようになり、今ではカルト宗教の「経典」みたいになっております。

 

左翼の方々は「日本が侵略戦争の反省に立って出来た憲法」と、もっともらしい屁理屈をつけて「平和憲法」と言っていますが、どうして彼らがこのような幼稚な嘘を平気で言えるのか?とただただ呆れるばかりです。

 

そこで、一日本国民として、本当に現占領憲法が日本国、日本国民の平和をもたらすのか?と今一度考えてみたいと思います。

 

対中国政策では大失敗し、また政官業の癒着、利益誘導型の政治を行ってきた田中角栄元首相は個人的には好きではありませんが、リアリズムに立った政治家としては、すごい政治家だと思います。

そんな田中角栄氏の「戦後憲法」に寄せる思いを書いていきたいと思います。

空想の世界で憲法を語るのではなく、実際に戦前、戦中、戦後の世界を見てきた田中角栄氏の言葉が皆様にとっても参考になればと思います。

 

下記に紹介します本は、田中角栄氏の秘書の早坂茂三氏が書いたものですが、早坂氏は元日本共産党員でしたので、左翼特有の論調が含まれていてミスリードな部分がありますが、田中角栄氏の言葉をそのまま載せていますので、その部分を引用させて頂きたいと思います。

 

早坂茂三の 田中角栄 回想録】早坂茂三

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占領軍の意図と日本人の知恵

 最大の問題は、やっぱり憲法だった。これは今日まで尾を引いている。

とにかく日本の新憲法はアメリカによる占領のもとでつくられたわけだ。これは間違いない。だから、いろんな不満があって、憲法ができた直後にはもう「憲法を改正せよ」の声が出てきた。

 

 ところが、アメリカ占領軍の日本人を見る目は違っていた。日本人というのは、気が早いし、世界にも稀な単一民族、同族国家だから、いざとなればまとまりも早い。

うっかりしていると、すぐに憲法改正に取り組むと。

 占領軍はそうみてとったのか、憲法改正が容易にできないように、絞りに絞りをかけた。

 国会の発議条件なんかの改正手続きを、きわめて厳しくしてしまったわけだ。

大変な厳しさだよ、これは。

 

 ところが、だ。そこへ朝鮮戦争が起こって、アメリカは自分が日本国憲法にかけた手かせ、足かせが邪魔になった。

アメリカは日本を早く再軍備させたいんだから。で、吉田総理に憲法改正を要求してきた。早くせい、とね。

 

 しかし吉田さんは「憲法改正はいたしません」とハネつけた。そこが吉田さんの偉いところなんだ。 吉田さんと当時の民自党の見識というものだ。

 日本人たるもの、あの当時のそういう事情をよく思い出してみなければならない。

 そうやって吉田さんが占領軍相手に汗を流して苦労していたとき、ほかの中間野党はどうであったかというと、野党第二党の改進党総裁の重光葵さん、この人は憲法改正に賛成だったし、参議員第二党勢力の緑風会も賛成だった。

 

 二十七年十月は、憲法改正は是か非かを争点にして総選挙をやったくらいでね。

自由党注、二十五年三月一日、民自党と民主党連立派が合同して自由党を結成)を含めたら衆参両院で四分の三の改憲勢力があった。

 自由党さえ乗れば憲法改正はすぐにでもやれたわけだよ。

 しかし、吉田さんは乗らなかった。そのへんのところがね、自由党の功罪を論ずる場合、非常に味のあるところなんだねぇ。

 

 そういうなかで、わたしはどうしていたかということなんだけど、代議士に当選したときから政治の真んなかにいたよ。ずーっと真んなかだ。

そのころは占領軍から毎日のように『メモランダム』が発せられていた。

まァ、日本の国会に対する事実上の指示だな。

そのメモランダムで法律の原文が示され、一行の修正でも、付帯条件をつけることでも、占領軍のOKがなければできなかったんだ。それはもう、やかましいもんだったよ。

 

たとえば国会の審議時間。法案が予定通り上がらないと、午前零時を回っていても国会本会議場の時計が占領軍によって止められて、法案の決議が強行されたような例はいくつもある。

 占領軍民政局の国会係はケーディスという人でね。この男が議長サロンで終日、頑張っていた姿は、今でもわたしの記憶に鮮やかだよ。

 

 占領軍のメモランダム、これは洪水みたいでね。まるで蛇口からほとばしる水道の水だ。わたしはその蛇口の下に位置しておって、ジャーッと降りてくる法案の条文整理をしたり、時には占領軍メモに反して多くの議員立法を立案したこともある。

ま、そうした若いときの経験がね、今のわたしの法律に対する知識の基礎であるかもしれないと思うんだ。

 

 法律というのは、これ、実に面白い生き物だよ。使いようによっては変幻自在に姿を変える。法律を知らん人にとっては面白くもない一行、一句、一語が実は大変な意味を持ち、すごい力を持っているんだ。

 壮大なドラマが法律の一行、一句にこめられているといってもいい。

法律を活殺自在に使いこなすには、法律に熟知していることが必要だけれども、それが法律学者的な逐条解釈に立った知識じゃダメだ。

 

 その一行、その一語にこめられた背後のドラマ、葛藤、熾烈な戦い、そういったものを知っていて、その一行や一語にこめられた意味がわかっていなければならない。そこが肝心なところだな。

わたしはそうした物差しで戦後から今日に至るまでのわが国の法律や制度をみているんだ。

 

 今の法律や制度、仕組みというのはね、戦後これだけ長く経った今なお、占領軍時代につくられたままのものが多いんだ。

だから、そうした法律が制定された当時の背景や目的がわかっていないと、法律の運用を間違う。

 

 一つ一つの法律を、文面だけからの解釈で改正しようといってみても、議論が百出してまとまるもんじゃない。

この法律は日本政府の原案ではこういうものであった、それが占領軍メモが届いてこう変わった、その間にこういう事態が起きたので、現行法に修正されたと。もって如何となす、となれば議論の土台がきっちりして、コンセンサスを得られる条件が満たされると、わたしは思っているんだがね。

 

 ともかく占領軍は、わが国を弱体化し細分化し、非戦力化するために現行憲法や多くの法律をつくって、日本政府に呑ませたんだ。

にもかかわらず、戦後、幾星霜を経て、わが国は世界でも指折りの経済大国に発展した。

これはね、日本人が強い同族意識をもち、英知と努力によって現行憲法や占領時代につくられた諸制度・諸法規を消化して、わが国の風土に定着させたからなんだ。

 

憲法制定、西ドイツと日本の差

 しかし、そうはいってもね、いつまでも占領時代の法律、制度を引きずっていく必要はない。だから、現憲法についてもこの辺で本格的な検討を加えるべき時期にきていることも、また、確かだと思う。…

 

   つづく

 

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「血のメーデー事件」1952年5月1日

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

先日の朝、何気なくテレ朝の池上彰さんのコーナーを観ていましたら、「血のメーデー事件」を扱っていました。

ですがいつもながら、池上彰さんは「日本共産党在日朝鮮人」が起こした事件を包み隠して説明していました。

“真実”と“嘘(伝えない)”を織り交ぜて報道しますので、当時のことを知らない日本人や在日韓国、朝鮮人の方たちはみんな騙されてしまうのです。

 

「血のメーデー事件」を「庶民のメーデーが人民広場で暴徒化した」という、なんともお粗末な内容でした。

 

昭和毎日 1952.5.1

【血のメーデー事件】

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神宮外苑での大会終了後、デモ隊は使用を禁止された皇居前広場に突入した。警察はピストル、催涙ガスを撃ち込んで反撃。デモ隊の2人が死亡、双方に1500人余の負傷者を出す乱闘になった。逮捕者は1232人、261人が起訴された。

 皇居前広場を「人民広場」と言われていたと説明する池上氏は、一体何者なのでしょうか? 池上氏はもしかして“隠れ共産党員”なのでしょうか?

 

朝鮮総連金賛汀

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民戦から朝鮮総連

1951年1月9日。日本政府に強制解散させられた朝連に代わる左翼系の組

識として民戦が結成された。

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 1951年から1952年にかけて日本国内は激しい社会運動に揺れた。左翼勢力はアメリカの意を受けた吉田内閣の弾圧姿勢に強く反発し、日本共産党は1951年2月には公然と武力革命を活動方針とする極左路線を打ち出した

 朝鮮人日本共産党員が中核であった民戦は日本の左翼勢力に歩調を合わせ、朝鮮戦争反対、吉田内閣打倒を方針に掲げ過激な運動を展開した。

 こうして講和条約締結後、左翼勢力と日本政府の最大の衝突が1952年5月1日のメーデーの日が起きたのである。

 この日のメーデーを、民戦は「同胞総決起月間」の頂点と位置付け、全国のメーデー会場に14万7000人の在日同胞を動員した。

 東京ではデモが禁止されていた皇居前広場に日本人と朝鮮人のデモ隊が押し寄せ、朝鮮人北朝鮮国旗を押したててデモを敢行した。

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 このような過激なデモが、その後も各地で行われ、多くの朝鮮人犠牲者が出ることとなる。

 私の知人でこの時期、朝鮮高校に通学していた女性がいる。彼女は当時、日本政府による学校閉鎖反対運動、朝鮮戦争反対運動などで、学校での授業よりも街頭デモや反対運動に参加することが多かったと回想している。街頭闘争の時は、買い物籠に警察官に投げつける火炎瓶を隠し持って運搬する日が毎日のように続いたという。 以下略

 

読売新聞 1952年3月30日

【日本に潜る 赤い朝鮮人

【三万人のテロ團】

【日共と金日成が指令】

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渡辺恒雄 メディアと権力】魚住昭

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「殺っちまうか。殺って…どこかに埋めてしまうんだ。それから移動すればいい。どうだい、殺ってから移動した方が安全じゃないか」

 Dの小さな眼には奇妙な笑みが白く浮いていた。高は無言のままその眼を見つめた。

 

 共産党が五一年テーゼで軍事方針を明確に打ち出して以来、血なまぐさい事件がつづいていた。

 昭和二十六年十二月には、東京・練馬区で駐在所巡査が殺され、ピストルを奪われた。年明けの一月には札幌市警の警備課長・白鳥一雄が射殺された。二月には国鉄青梅線で貨車四両が暴走し、後に犯人として共産党員ら十人が起訴された。

 

昭和毎日 1952.6.24

【吹田事件】

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学生や労働者、朝鮮人ら900人が参加

 

 警察は共産党の組織的犯行とみて対決姿勢を強め、両者の緊張は極限まで高まっていた。

 高は思った。共産党の軍事方針とは、つまるところ「敵は殺せ」ということだ

(中略)

 奥多摩での出来事以来、高の心には軍事方針への疑問が芽生えていた。軍事方針とはつまるところ「敵は殺せ」ということだ。それは共産主義の理想とは異質なものではないか…。奥多摩オルグしようとした村人たちから冷たくあしらわれたことも高の疑念に拍車をかけた。

 

 東京に帰ってから約二ヶ月後の五月三十日夕。新宿駅前広場に共産党武装組織・中核自衛隊が初めて公然と姿を現し、警察官と激しく衝突した。

 大量の火焔瓶が投げられ、炎が高く燃え上がった。

 高はその広場を取り囲む群衆の中に分け入ってみた。党が組織したデモ隊と群衆の間には明らかな境界線が出来ていた。

 群衆は火焔ビンの炎が上がるたびに大きくどよめいたが、決してデモに加わろうとしなかった。

 

 だが、翌日に開かれた党地区委員会の会議では、「Y」と呼ばれる党軍事部門の責任者が新宿広場での中核自衛隊の行動に「大成功」という評価を下した。火焔ビンの炎が全体の士気を鼓舞して、デモを大成功に導いたというのである。

 

 つづいてYの責任者が「拳銃を持っていて逮捕された中核自衛隊員がいる」と報告したとき、それまで黙って聞いていた高が思わず声を上げた。

「ピストルだって?あのデモの中にピストルを持って出ていた者がいたというのか!それはほんとうか!」

 

「なぁーに、肝試しよ。武装武装というだけで、いままでは掛け声だけだったからな。まずは実際に持って慣れてみようというわけさ」

Yの責任者はこともなげに言った。

(中略)

 高はまもなく青年対策の責任者の任を解かれ、非合法組織と表の組織の間の連絡係に格下げされた。(中略)高はそのころ出会った女性党員・岡百合子(高夫人)との恋愛問題も重なって、組織の査問を受けた。奥多摩での言動が「組織の内情を暴露する裏切り行為ではなかったか」と追及され、活動停止を宣告された。日和見主義者の烙印を押されたのである。

 

 暗い穴蔵のような部屋に閉じこもり、高は自問自答を繰り返した。

党を信じたい。だが軍事方針は信じることができない。

「俺は日和見主義者なのか…」

 追いつめられた高はタバコを大量に溶かした水をいっきに飲み干し自殺をはかったが、果たせなかった。

高が当時を回想する。

 

 「いま思えば、党を軍事方針に駆り立てたのはスターリンの世界戦略でした。彼は朝鮮戦争が中国に拡大しはじめたとき、その後方基地の日本を混乱させるため党を利用したのでしょう。僕が奥多摩で体験したことも、それと無関係ではなかったんですが、当時の僕にはそんなことを理解する力はなかった」

以下略

※高青年=在日朝鮮人

 

【かけはし】ブログより

在日朝鮮人党員への差別

 共産党は「戦前、戦後を通じて、朝鮮の同志たちを闘争のいちばん困難なところ直接いのちを張るような危険なところへかりたてた。

 そういうところに意識しなかったにせよ、民族排外主義の要素があった。と同時に、皇道思想が流れているのではないか」と、朝鮮で育ち中国で活動した安斎庫治(中央委員、幹部会員候補、六七年除名)は後年「反省の心をこめて語っていた」(七二頁、保坂浩明と車永秀)。

 

 保坂(日本人医師と恋愛結婚で改名)は戦中に一高、東大を出た秀才で五回大会(四六年一月)で他の三人の朝鮮人とともに中央委員候補(中央委員二十人中の序列第三位の金天海・政治局員、同候補二十人中四人)となった。

※保坂浩明=李浩明

※金天海=在日朝鮮(韓国)人 日本共産党中央委員

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朝鮮総連結成後に、北朝鮮に渡り粛清されました。

 

 彼は最初の生産管理を闘った京成電鉄から京浜の東芝や読売争議など労働運動に集中し、四九年には東北地方委議長として、平警察署占拠―「九月革命論」にそって六月の東神奈川の人民電車事件に呼応した―など、極左戦術とひきまわし指導でも有名だった。

 

昭和毎日 1949.6.30

【平事件】

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福島県平市(現いわき市)で、日本共産党員や労働者に警察署が占拠された。

 

 六全協後の総括会議で「自分の闘争指導には極左的傾向」があったと認め「自分は朝鮮人であるが故に終始差別された」「その無念さがあのような形で爆発した」と述懐して場内を粛然とさせた、という(七四頁)。

(中略)

革命運動に民族、人種差別はないというのは建前だけで、アメリカ白人が黒人革命家と握手を拒否したり(プロフィン書記長のロゾフスキー著書に出てくる)したと共通した差別は、日本革命でも長らく同じであったのである。

 

以前にもブログに書きましたが、「朝鮮戦争」は金日成が始めたことで、毛沢東が全面支援をしたものです。

日本共産党は現在、民団などで「日本人による差別」を扇いでいますが、実際は日本共産党が日本革命のために在日朝鮮人を担いで利用していたのです。

在日朝鮮(韓国)人を差別視して、利用しているのは日本共産党なのです。

 

日本共産党は、日本人VS在日韓国(朝鮮)人の構図を作り出して、今も日本革命に在日韓国(朝鮮)人を利用をしていることは「民団新聞」を見れば明白なことです。

在日韓国(朝鮮)人に、日本人への憎悪を焚きつけて安倍政権顚覆を謀っているのです。「外国人参政権」を餌に、彼らを闘争させていますが、もし、「日本人民共和国」になっても、在日韓国(朝鮮人)には参政権を与えないでしょう。

 

人民網 2009

【在日華人が「華人参政支援協会」を設立】

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日本共産党は、中国共産党と連携しています。

北朝鮮や在日朝鮮、韓国人は革命に利用しているだけのことです。

華人参政権と中国が限定しているわけですから、在日韓国(朝鮮)人は含まれていません。

 

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朝鮮(韓国)半島の統一に絡む利権

今日もお立ち寄り有難うございます。

 

産経新聞 【どこかで見た…】

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写真を見ると…本当に…タイトルそのままですね。

北朝鮮は経済が貧すると、「南北統一」というパフォーマンスを掲げるようです。

 

読売新聞2008.6.12

北朝鮮、当初は15億㌦要求】

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 韓国の金大中政権時代に秘書室長などを務めた朴智元氏は11日、第一回南北首脳会談(2000年6月)前〇秘密交渉の際、北朝鮮が会談開催の見返りに当初15億㌦の支援を要求し、その後5億㌦に減額したことを明らかにした。

(中略)

朴氏によれば、首脳会談は2000年初めに現代峨山社の鄭夢憲会長(03年8月自殺)が話を持ちかけ、現代グループの対北代理人吉田猛氏が仲介した。

(中略)

 5億㌦支援は、韓国で03年に「対北秘密送金事件」として問題化し、特別検察チームの捜査で韓国政府が現金1億㌦、現代が4億㌦分を利益供与したことが判明した。

 

つまり、金大中はお金で「ノーベル賞」を買った感じですかね。

それで結局、何の成果もあげられなかったわけですから…

 

さて、吉田猛という人物ですが…

北朝鮮利権の真相】野村旗守★編

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吉田猛―日本の政界工作に動いた北朝鮮側の“密使”

 吉田が社長を務める新日本産業は、昭和二十七(五二)年、吉田の父・吉田龍雄によって設立された。平壌にも支社を置く、対北朝鮮貿易の老舗である。

 吉田龍雄は北朝鮮出身で、のちに日本に帰化した。そして、貿易商であると同時に、日本の政治状況、産業情報を密かに北朝鮮に送る大物スパイであったとも伝えられる人物である。

 猛はその四男。父の死後、新日本産業の経営を引き継ぐと同時に、日本の政界工作に積極的に取り組んだ北朝鮮の“密使”として知られるようになる。初めてその名が浮上したのは九〇年。金丸訪朝団の裏で動いていた川砂利に関する利権をめぐって、北朝鮮との交渉の窓口になったといわれていた。

(略)

 さらに吉田は、自民党加藤紘一、とくに秘書の佐藤三郎(二〇〇二年三月、所得税法違反で逮捕)との深い関係が問題化した。

 加藤と北朝鮮の橋渡し役も果たしたという。加藤が中心となった九五年の渡辺訪朝団には、吉田が「加藤紘一事務所」所属の名刺で同行した。

(中略)

北朝鮮との「利権エージェント」の可能性の高い人物が、与党政治家の事務所に所属した立場で裏交渉を行っていたとして、新進党(当時)の石井一参議員議員から国会で厳しい追及を受けていた。

(中略)

 すでに述べたように、北朝鮮の砂利利権を握るのは野中広務といわれる。野中古賀の親密ぶりを考えれば、ありえない話ではない。

(中略)

当然のことながら道路建設にも大量の砂利が利用される。無駄な道路ができればできるほど、砂利の利権を持つ政治家たちはうるおうというわけだ。政治家たちが道路公団民営化に反対する訳がこれでわかるだろう。

 現在、日本政府の一部では、“朝鮮族=道路族”として、政治家たちの暴走に警戒感を強めているという。

 

野中広務古賀誠は、日本共産党赤旗にも登場していましたね。

日本共産党の共闘する相手は利権まみれの政治家が多い感じがします。

 

日本共産党 しんぶん赤旗 2015.3.1

【安倍暴走に批判 自民元幹部から次つぎ】

【右翼政治みたい■痛みわからぬ】

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 安倍晋三首相が今夏発表する「戦後70年の新談話」。これまで「河野談話」(1993年)、「村山談話」(95年)にあった「植民地支配と侵略」「慰安所における強制」への反省など、その核心部分をあいまいにした「新談話」にしようとしています。

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赤旗はもしかして、中国共産党員が書いているのでしょうか?

「植民地支配と侵略」は中国と韓国・北朝鮮だけが言ってるわけです。

しかも、それらがみんな真実でないことも分かっています。

この方々は、みんなハニートラップでもかかっているのでしょうか?

 

北朝鮮在日朝鮮人工作員)=日本共産党

朝鮮戦争休戦までは、日本共産党員には在日朝鮮人が多く含まれていましたから、今更驚くこともありませんが、現在も日本共産党北朝鮮が繋がっているという証拠ですね。

 

 今、朝鮮半島の統一がなされるということは…

これは、韓国とってかなり厳しい状況となるでしょう。

何しろ、北朝鮮はもう極貧状態で、地下資源も中国に搾取されて、しかも、漁場権まで中国に売ってしまっているんですから。

 

読売新聞 2007.8.6

【北の地下資源 中国再び触手】

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 高度成長を続け、慢性的な資源不足に苦しむ中国政府は2004年ごろから、北朝鮮の鉄鉱石や無煙炭などの輸入に血眼になってきた。北朝鮮で最も多い鉱物は鉄鉱石で、埋蔵量は推定30億~40億㌧とされる。

 最近は、鉄や石炭だけではなく、急成長する自動車や家電産業に欠かせない亜鉛や銅にも触手を伸ばし、地球上の存在量が少ないレアメタル希少金属)であるモリブデンなども主な獲得対象としてきた。 以下略

 

その対価として…

読売新聞2007.8.6

中国、北に重油5万㌧

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中国は北の核廃絶の見返りに…と言ってますが、中国としては北朝鮮の地下資源をしゃぶりつくすまで、北朝鮮を温存してなければならない事情があったのではないでしょうか。こうして過去を振り返ると、北朝鮮は経済が苦しくなると核開発をしたりミサイルを飛ばしたりして、韓国から金銭を詐欺的に搾取してきていますね。

 

朝鮮族ネット 2006.3.31

【[経済]石炭から鉄くずまで…北朝鮮で資源狩り】

北朝鮮の主要鉱山と中国の進出現況】

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 北朝鮮の資源を狙う中国の手は執拗だ。中国国務院弁公室は 2005年6月“36号分件”を発表した。“東北振興”すなわち東北3省の集中開発を初めて北朝鮮進出と連携させた文書だ。30余りの条項の中で18条、24条が北朝鮮との連携開発を規定している。

 中国の北朝鮮地下資源狩りもこんな東北振興の一環と解釈されている。

(中略)

中国は甚だしく鉄くずも逃さない。鉄加工に必須だからだ。

(中略)

 中国が北朝鮮の資源狩りに高速走行しているが、韓国は亀歩きをしている。資源協力というのは名ばかりで、南北のする事業は大韓鉱業興公社の黄海南延安郡井村黒鉛鉱山の開発が一つの事例だ。 以下略

 

そして、現在の韓国文大統領といえば…

産経新聞 2017.12.17

【「一帯一路」すり寄る文氏】

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 文氏は16日、韓国大手、現代自動車重慶の新工場も視察。現代自はTHAADに対する中国の“報復”とみられる不買運動で中国での販売がほぼ半減。中国にある既存の4工場が一時稼働を止めた最大の「被害者」の一つだ。中国側の理不尽なやり口にも、文政権は世界貿易機関WTO)に訴えるといった毅然とした措置を取らず、逆に今回の訪中で習政権の懐に入り込もうとした。

以下略

 

本当に、韓国は中国に頭が上がりませんね。

これは、李氏朝鮮時代から一つも変わっていません。

 

さて、中国の「一帯一路」に組み込むと…

産経新聞 2018.4.30

【「一帯一路」が産む借金地獄】

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 中国が推し進める現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」が生み出す巨額債務への警戒感がここに来て急速に広がっている。国際社会からの懸念の声が相次いだほか、米シンクタンクは、債務返済が困難となるおそれがある8つの国を名指しした。参加国に債務と金利が重くのしかかる、一帯一路の負の側面が浮かんでいる。 以下略

 

危ないのは経済面だけではありません。

産経新聞2018.4.29

中国機、2月以来の韓国防空圏進入

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 韓国軍合同参謀本部は28日、中国軍機1機が東シナ海で中国と管轄権を争う岩礁離於島(中国名・蘇岩礁)付近から韓国の防空識別圏内に進入したため、戦闘機を緊急発進(スクランブル)させたと発表した。中国軍機の進入は2月以来。中国軍機は28日午前10時45分ごろ進入。以下略

 

 その前日の27日に、北朝鮮と韓国が平和統一の対話をしていたばかりだというのに。

韓国がいかに中国にバカにされているかということです。

 

前にのめり込む韓国政府と韓国国民、在日韓国、朝鮮人の人たちには、この先に想像を絶する世界が待っていることを理解出来ていないように思うのですが…ご本人達が喜んでいるのですから良しと考えるべきなんでしょう。

とりあえず、日本は非核化と日本人拉致被害者奪還すれば良しとしましょうか。

 

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